重複しますが、私なりの理解も述べてみたいと思います。
まず10頁から始まる「待つ態度をどのように保てますか」というテーマです。
14頁に19節「互いに近づく」とあります。
互いに近づく。とはどういう意味でしょうか。
よく訓練された軍隊は敵に襲われると、兵士間の距離を詰めます。つまり兵士同士が近づきます。
防護を固めるためです。サタンは神の民への攻撃を強めていますから、今は内輪もめをすべき時ではありません。互いに近づき、他の人の不完全さを見過ごし、エホバの指導に対する確信を表すべき時なのです。
上の文章で少し変だなと思う点は、いくつありましたか?
近代の戦闘では、敵の攻撃があったときに、兵士は集まったりはしません。なぜならその箇所を重点的に攻撃され、部隊は全滅するからです。
ものみの塔のじっちゃんの考える戦闘シーンは、中世の戦いですね。現代に通用しません。
また「内輪」もめとは何を意味するのでしょうか?
幼児性虐待の裁判沙汰などを言っているのでしょうか?
「相手の不完全さを見過ごし」とは、組織として犯罪を隠蔽したことを見過ごしなさいということでしょうか?
犯罪を見過ごすことは、聖書以前の問題ですし、見過ごしたら人間として失格でしょう。
特に私は”天秤座”生まれですので、悪には厳しいですよ。
次に16頁から始まる「七人の牧者、八人の君侯ー今日のわたしたちにとってどんな意味があるか」です。
17節(2)で、”アッシリア人”が攻撃を仕掛けてくるとき、長老達は、エホバによる救出を心から確信していなければならない。(3)その攻撃の際、エホバの組織から与えられる指示は、奇妙で異例なものに思えるかもしれない。しかし、わたしたちは皆、同意できるかどうかにかかわらず、どんな指示にもすぐに従うべきである。それらに従うことは命を意味するからである。
さて、どのように感じましたか?
>エホバの組織から与えられる指示は、奇妙で異例なものに思えるかもしれない。
奇妙な意外な指示をされたら、困りますよね。
>しかし、わたしたちは皆、同意できるかどうかにかかわらず、どんな指示にもすぐに従うべきである。
同意できそうもない指示を与えられて、それに従うとは、まるで戦前の軍国主義のようで怖いと思いませんか?
やはり、自分でよく考えて、従えない指示には良心を持って行動すべきと思います。
この頃のものみの塔は、色々な今までのつけが回ってきて、裁判沙汰やマスコミの批判と対応に苦慮してか、異常と思える文言や対応があるように思います。
オウムのようにならないことを祈るばかりです。