時々ぐずっている孫を抱くと、「この小さな弱々しい体を守ってやらねば」と改めて思います。
通勤途中で見かける私学に通う小学生に対しても、こんな気持ちを持っている自分を感じるときがあります。
今朝も、小学校低学年の女の子が、電車の揺れに必死に耐えているように見えました。
私は、席を譲ってあげようかと思い、立ちかけました。
すると、斜め前にいたサラリーマンがその席を狙うように動きましたので、そいつの斜め前に立ち、ブロックしてやりました。
そして、女の子に「どうぞ」と声をかけました。
でもその女の子は首を横に振って、私の申し入れを辞退しました。
私は「大丈夫なの?」と声をかけるとその子はうなずきました。
それを確認して私は元の席に腰掛けました。
席を譲る作戦は失敗しましたが、私の優しい心は伝わったのではと自己満足しています。
帰宅して、孫の顔を見ていると、この子に命の危険が迫っているときは、身代わりにでもなれると感じています。
「爺馬鹿」です。
同じ時に、「ばあば」になったJW嫁はどう感じているのでしょうか?
孫の危機に命を投げ出すことが出来るのでしょうか?
「私はまだ伝道奉仕が足りないから復活できない可能性があるので、今は死ねない」とか言うのでしょうか?