ZillionForce@Vocal上田康博の公式ブログ -2ページ目

「僕の名は。」

「僕の名は。」


僕の名は

死に損ない者



悲しくて笑うのは
絶望の極致を越えて
僕が僕の心を犠牲にしたから



嬉しくて泣くのは
不幸を数多抱え過ぎて
幸福の基準が極度に低下したから…
だよ



例えば
雨の日に傘を差しているだけで
僕は物凄く有り難みを感じる
それだけで感激してしまう


何故ならば
雨が降っているという事実に反して
濡れなくて済むのだから


本来濡れるであろう状況において
濡れなくて済むなんて
そんな有り難い事は無い



僕は
強くなったのか弱くなったのか
良くなったのか悪くなったのか
優しくなったのか厳しくなったのか


もうなんだか分からなくなった



ただ
この感受性だけは失いたくない


何もかもを失ったからこそ得られた
唯一の産物だから


死に損なったからこそ生まれた
無二の感性だから




僕はふと気が付いた



僕の名は

「死に損ない者」


じゃない









「生き残り者」

なんだと。

新曲の歌詞を制作中

今日は父の命日。父が亡くなって3年、母が亡くなって25年。




諸般の事情によりまして、
長らくブログを更新しておりませんで、

大変申し訳ありません。

今日、
10月20日は父の命日です。

丁度3年前の今日の深夜、
父は地元愛媛の特別養護老人ホームで病に倒れ、

緊急搬送された病院で息を引き取りました。

深夜、病院から私に電話連絡があり、

【お医者様】
「康博さんですか、
落ち着いて聞いて下さい。
現在お父様は非常に危険な状態です。」

【僕】
「それはつまり危篤状態ということですか?」

【お医者様】
「はい、そういう状態と言えます。」

【僕】
「わかりました。
では朝一の飛行機で東京からそちらへ向かいます。
せめて私がそちらに着くまで、
何とか延命治療をお願いします。」

【お医者様】
「申し訳ございません、
医療にも限界があります。
延命措置をしていますが、
ご本人の体力的にも朝までは、
とても持ち堪えられそうにありません。」

【僕】
「どうしても最期を看取ることはできないのですか?」

【お医者様】
「はい、非常に難しい状態です。
申し訳ございません。」


こうしたやり取りの後、
父は永眠いたしました。


僕がどうしても父の最期を看取りたかった大きな理由のひとつは、

25年前に母の最期を看取ることが出来なかったからです。


私は父の最期も母の最期も看取ることが出来ませんでした。


お母さん、
僕を産んでくれてありがとう。


末期の乳がんで毎日痛くて苦しくて眠れてすらいないのに、
毎週日曜日にひとりでお見舞いに行ったとき、
痛みを我慢して僕に構ってくれてありがとう。



お父さん、
男手ひとつで一生懸命育ててくれてありがとう。


仕事も、慣れない家事も必死にやってくれてありがとう。


いっぱい苦労かけてごめんなさい。


いっぱいわがまま言ってごめんなさい。



骨壺同士だけど、
お墓の中でふたり、
やっと寄り添えたね。


25年ぶりにやっと再会できたね。


再会してもう3年経ったね、
今日は少し寒いね、
仲良く頬寄せてるかな。





また・・・ふたりに逢いにゆきます。