〈サンキュー・ベリー・ストロベリー〉観覧メモ | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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全ては自分の予習復習のため
(注意: 目標はネタバレ100%)
近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。


レポというよりは、見ながら思ったことの羅列です。どう理解したら良いのか分からないところだったり。


面倒臭い場合はスルーして頂いて、もしご覧になっていたら、ご意見ご感想ぜひお寄せください。くちびる



ではスタート。


ロボット君、もう少しイケメンだったりとか、キュートだったりしたら、個人的にもっと楽しかったかも〜。悪くはなかったけど。

エンマの声は若めだけど姿勢や動作が本当に老人ぽい。大変だろうな。

若い女性役の女優さん、若くなくなくない?

 


エンマが若い女に「育って離れてしまえば、それまで」と言うので、最初の頃はミアかと思っていた。エンマはミアが家を出てしまったと思っているみたいだから。そしてこの言葉はエンマ自身が母親から言われていた言葉で、それを繰り返しているのかもしれない。

 

「この家を離れたら、忘れられて他人になってしまう」と言う言葉の真意を測りかねていた。「忘れる」んじゃなくて「忘れられて」しまう?自分がストーンやミアに忘れられてしまうってことか?もしかすると自分が母親のもとを去った結果、他人のようになってしまったことも示唆しているのか?

 

エンマはミアであるかのように接するが、若い女の正体は結局、若い頃のエンマだ。輝いていた頃のエンマ。もしくは健康な思考を持っている、エンマの一部。「私のことも少しは考えてよ!」って言葉は意味深。自分が自分に言ってる。


 

ロボットのねじが外れた時の「最初から無かったことのように忘れてしまえば無事に暮らせる」的な歌詞はエンマの状況の重大な暗示。

 

その後エンマが眠り込むと若いカップルが登場して屋根裏部屋で楽しそうに過ごす。過去を再現するエンマの夢なのか。

 

しかし若い女がちょっとスレた雰囲気だしヌナすぎて、ファンジ君のお相手としてはもう少し可愛らしい女優さんを使ってもらいたかった。ケミ的にこの女優さんがちょっと好みでない。

 

ここで楽しい歌をうたってるはずなのに、歌詞を聞くとわりと不吉な内容だったりして、これも未来の不幸を暗示?予言?しているのかと思う。「愛なんてない、誰が信じられる?みんな1人」

 

若い女はエンマなわけで、エンマのキャラも好みでない所がある。このシーンではストーンが純情に手を差し出すのに、手を引っ込めてからかうのが嫌な感じ。後々ストーンを責めるのも自分のことしか考えてなくて、同じように悲しんでいる彼の苦しみは2倍になった。まあ、それだからこそ余計後悔に苛まれるわけだけど。本心じゃなかったと悔やんだって、ぶつけた言葉は戻せないのに。

 

ところでエンマの母親はいわゆる毒親?子離れできない人?

 

不思議なのは、「小さい頃は教えてくれたのに、母親がピアノの音を聞くと憂鬱になって、今では触れさせてもくれない」と若きエンマが語るところ。ピアノの音を聞いて憂鬱になるのはエンマ自身だと思うのだが。エンマの夢だから、過去と現在、夢と現実が混ざり合っているのかな。


あるいは、若きエンマが年老いたエンマのことを自分の母親のポジションに置いて話しているのか?


「息苦しい家を出ていきたい」 これも、若きエンマが実家を出たいと言っているのと同時に、今の家を出たい、こんな暮らしはやめたい、と言っているのかもしれない。

 


なぜ若い2人は地域に受け入れてもらえなくて、ミアは疎外されたのだろう?大きな疑問だ。もしかして親に背いた結婚だから?韓国的文化が投影されていたりする?私には理由がわからない。なんですか?理由。

 


過去に語られた言葉が、現在も繰り返されるケースがいくつかある。ロボットの「手が暖かい」、「ホコリ濃度窒息レベル」などの他、外でエンマが暴れる時の歌詞は屋根裏部屋で歌っていた曲のリプライズになっている。



そして突然若い女が現れてドアを叩き始めるのは、移住要請の放送を聞いて、爆発事故の避難勧告を思い出したからなのかーと、後になって気づいた。

 


赤い靴がエンマに「相変わらず」似合っていると言った後、ロボット君は自分でも不思議そうな様子を示し始めるのを見落とすべからず。そこから「不思議なことだ」のナンバーを経て、インプットされたかつてのデータが表に出てくるのだけど、それはどんな仕組みだったんだろう。ストーリーとはあまり関係ない興味ではある。

 


しかし、エンマが「オオカミの赤い目」と言うのは単に比喩として炎のことを言っているのか、爆発で森からオオカミが本当に出て来たのか、頭の中で事故の記憶をオオカミに変化させてしまったのか、どれが正解なんだろう?変化させてしまったのが正解な気がしている。


 

悲劇はあったにしてもエンマが自己中だからストーンに同情してしまうのだが、なんだかんだを経て最後エンマがストーンに「ミアネ」と言うシーン。ストーンは口の形だけ「サンキュー」の形にしてジェスチャーをして見せる。

 

冒頭でロボット君が「すまないの代わりにサンキュー」と言ってたのがここで形になるわけだし、いくつかあった言葉のリプライズも偶然ではなかったことが感慨深かった。



不幸な記憶が蘇って気分がどん底になった後、幸福な記憶も確かにあったのだと気づいた時に、声なく号泣するエンマ(の演技)に1番心を揺さぶられた。


 

初演のロボット君は初めからストーンという名前で、彼のコピー的な存在だったけど、再演ではエンマのコピー的存在に変わったのだと思う。


 

最大の疑問は、最後の最後にロボット君がにっこり微笑むこと。なんで?終了したはずでは?覚えている限りその人は死なないからエンマの中ではいつまでも生きているってことかな。心象風景としての微笑み。だけどルービックキューブ揃ってるのはなんで?

 


カーテンコールの時にエンマがロボット君の腕を取って、手首から肘に向かって内側を撫でる。何か違和感を覚えて、物語中ではどうだったか見返したら、ロボット君もバーナードも任務を終えた時に肘から手首に向かって撫でていた。それが任務終了の動作だとすると、エンマは逆の動作をしたわけで、ちょっとしゃれたカテコではないだろか。