自発的自由放浪者
完全に侵食されないために、チャン・グンソクは今、脱出口を探している。完全に楽しくて完全に自由であるため。
時間は誰にも公平だが各自の濃度は違う。チャン・グンソクの時間は自分に対する観察と省察の方向に流れ、心の濃度はより濃くなった。もう心に傷が付かない適正距離を維持するために心を煩わせない。広さではなく、深みで刻まれて、想像と事実の境界を扱うことも知っている。2年弱の時間がこのすべてのことを可能にした。
初スケジュールがラジオ出演だった。相当興味深く、すごい奇襲だった。
私も意外だった。私はただ出勤途中に好んで聞いていた友人の家を訪問しただけなのに、あれほど大勢の人たちが驚くとは。ハハ。特別な意味や名分があったわけではない。ほとんど毎日出勤途中に〈キム・ヨンチョルのパワーFM〉を聞いて南山(ナムサン)トンネルを経過し、聴取者の事情に同意し、独り言もして、実際に自分の物語を送ったりもした。もちろん、選ばれなかったが。
話を送ったって?
文字メッセージを送った。そして気付いた。選ばれるのがどんなに大変なことか。ハハ。
ラジオの番組中に17歳のチャン・グンソクの声を聞くことができた。
2年ほどラジオDJをしたが、それを探して聞かせてくれた。本当にびっくりした。恥ずかしくさに悲鳴あげた私が両足を高く上げる姿が見えるラジオを通じて全世界にライブされた。放送でも話したが、当時既に私は浮かれていた。ハハハ
十七の頃も浮かれていたと言ったが、浮かれることの始まりと終わりがあるだろうか?
私は面白い人でありたいし楽しく暮らしたいだけだ。2年余り代替服務しながらその部分に対する考えがもう少し深まった。気の合う人たちと楽しく付き合って、退屈しない考えで私の人生を満たしたいという願いのようなもの。ある目標や目的などを設定しておくと走るようになって、夢中で直進していると方向がずれたのも感じなくなった。たまには角度を少しずらせても良いんじゃないか、軌道を少し外れてもいいんじゃないかと思った。その過程に浮かれることが必要ならば、これからも僕は浮かれるだろう。ハハ。
規則的なスケジュールから自由になってどうか?
まだ満喫していない。召集解除されてから今まで、公式、非公式スケジュールがほぼ毎日あった。一日だけ、ミーティングが取り消された日に8時間程度何もしないでソファとベッドを移動しながら横になっていたのだが、言葉通り「蜜を吸っ」た。こんなのが幸せなんだなぁ…と思った。
規則的な日常があなたのどんな点を変えたか?
私の精神と肉体を変えた、とても健康的に。規制というのが必ずしも不便なものではないことを今回気付いた。出勤しなければならないから約束が減り、こうしてできた余裕時間は感情をもっと豊かに育てることに使った。本も読んで、映画もすごく見て、そして運動も始めた。もともと体を動かすのとは程遠い人間だったのに…ハハ。不眠症もちょっとあったが、夕方に運動して汗を流すせいかちゃんと眠くなって睡眠の質が高いため、朝に調子も良かった。あ、時間をもっと効率的に配分して使うようになったのも変わったことだ。決まった時間内でやるべきことと省かなければならないものの手順を取り始め、重要度に応じた業務の効率性も考慮した。やっぱり人は、死ぬまで学ぶのが正しいと思う。
運動のためか、とてもスリムになった。
運動を根気強くしてきたが、今日のグラビアスケジュールが決まってからは運動回数を2回に増やした。すぐファンたちに会える機会がないから、今回のグラビアにいい姿を見せるのが待ってくれたファンに対する恩返しだとでも言おうか。しかし二度は無理だ。さっき床に寝そべってから立ち上がったらふらついた。本当だ。
食事制限もずいぶんしたのではないか。ダイエット期間中「絵に描いた餅」が多くて辛くはなかったか?
一日一食しか食べなかった。もともと食べることが好きだから辛いだろうと思っていたが、意外に体質に合っていた。代わりに炭水化物のパーティーだけは避けた。幸い料理するのが好きで、自分が食べたいだけの量を調節して作れたから役に立った。「絵の餅」は私が作ってカロリーを減らし、代替材料で味を出した。
料理を楽しむタイプにはいくつかあると言うが、過程を楽しんだり、結果を楽しんだり。
過程、結果全て無視できないが、私の場合には創作にもっと比重を置いている。計量カップでする料理ではなく本能的に動くスタイルと言おうか。冷蔵庫にある材料で代替できることが好きだ。ある時は二時間もかけて用意し食べる時もある。一人で食べるから大まかに簡単なものを作って食べようかと思っても、想像した料理を実際に完成して出会える味を知っているから、諦められない。もちろん、装備の苦心もある。フライパンを厚さと面積、大きさによって10個ぐらいは持っているし、ネットショップの買い物籠に最も多く盛り込まれているのも食器でなければ料理道具だ。
普通の男性俳優たちは除隊や召集解除前にカムバック作のニュースが聞こえてくるが。
どうしても空白時間が長いから、ほとんどが早々にカムバックを準備するのが普通だ。私もその部分を無視したわけではないが、観点がやや変わった。ある決まった時間や強迫に飲み込まれまいとしている。そうしたら時間が必要だったし、急ぎたくなかった。すべてが自然に繋がる気持ちでつかまないと。強力な外部の力が働くと壊れたり逃がしたりする。陳腐で普遍的な表現だが、もう少し深思熟考して選択したい。もちろん、長考の末に悪手を指してはならない。
不安はないか。チャン・グンソクのフィルモグラフィーはすでに3年目の休業中だ。
さらに長くなることもあり得る。先ほども言ったが、急ぎだからと欲を出しても自分のものにはならないのだ。少し前に<国都劇場>という映画を見たが、良かった。ただ好きだ。大学と大学院で演技を専攻する間、数えきれないほど使う言葉がストーリーとプロットだ。なのに私はそれをどうして逃していたのかと思った。特別感は無くても自然なストーリーだけで流れる作品が好きになった。結局、基本に充実して、本質は変わらないのに…カムバック時期があまりに伸びて欲しくないという心はある。でも重要なことを無視し、状況に追われて作品を決定したくはない。
考えが広くなったのか?深まったのか?
柔軟な動揺としておこう。まだどちらに行くべきと方向を決めたわけじゃないから。ただしもっと客観的に私を見るために努力する過程だと言おうか。時間が多いと考えが多くなる。その考えとして私について書いたメモがあるのだが、他の人たちが考える私はどんな人間だろうか、私に不足しているものは何だろうか、などなど。
気になる。チャン・グンソクがチャン・グンソクを見つめて投げかけた質問に対する答は?
秘密だ。そうしたらそれをまた守らなければならないではないか。人の目を意識するようになって。私が自分自身に約束したようなことだから、あえてパンドラの箱を開けるのはやめよう。
意外だ。人々がチャン・グンソクのことを出し惜しみをすると思うのだろうか?
そんな考えをしたことはないのに。ただ私たちは皆違うから。その違いを認めて尊重してくれたらいいと思ったことはある。私も人に向き合う時、最大限先入観を持たないように努力する。ぶつかってこそ分かることがあるが、私の場合には人間関係がそうだ。想像で考えだけで相手を偏見の監獄に閉じ込めてしまいたくはない。そんなミスを犯してはいけないし。
立ち止まっていた2年、初めて見えたものは?
空。本当だ。昼食時間にタバコを一服してふと頭を上げたが、本当に静かだった。青くて雲があって、そんな浪漫的なものではなく、ただ静寂が流れる大海原のようとでも言うべきか。その後しばしば空を見る習慣ができた。
普通男は30歳を基点に価値観の変化が形成されると言うが、チャン・グンソクは違うようだ。
そんなのはすべて嘘だ。ハハ。私もそうだったし、周辺の兄たちや弟を見てもそうだし。29の最終日と30の初日はそんなに変わらなかったし。もちろん、本当に30を真剣に準備する男もいるが、数字以上の意味が大きくあるとは思えない。人によって、誰かには大学入学日かもしれないし、入隊日、結婚する日の可能性もあるのではないか?それぞれ状況は異なり、悩みの範囲も違うから。
チャン・グンソクにはまさに今か?
そうだ。2年の時間がそうだったし、今がそうだ。最近引っ越したし、事務室も移し、召集解除にもなった。これから私は「浮かれる」ことだけが残っている。ハハ。
私的な空間と公的な空間の変化が一度にきたのか?
家を引っ越したいとは前々から思っていた。ずっと延ばしていて昨年晩秋に動いたのだが、インテリアがどれほど難しいことか、二度はしたくない。床材からドアノブ飾りの一つ一つまですべて私が決定して選択しなければならなかった。
ミニマリズムかマキシマリズムか?
ミニマリズムに乗り換えた。ハハ。必ずあるべき位置に必ず必要な品物だけを配置した。無所有までではないが、空けることの美学を知りつつある。
今日撮影場に一人で運転してきた。これは公式スケジュールなのにだ。
スタジオが家から近い。そして2年間一人で運転して通勤していたため、自分で動くことに慣れてきた。これからもコンディションに大きな影響を及ぼすスケジュールがないなら、一人で運転して通うつもりだ。
チャン・グンソクにはかなりの関連検索語がある。どんな検索語を削除したいか?
無い。それを消してしまったら私が消えるのではないか。消してもまた出るだろう。自分が自分であること、自分の歴史を消すことはできない。もちろん、いごこちの悪い単語もあって、事実ではないこともあるが、言葉や文というものはすでに作られてしまったら無くなることはない。それなら自分がもっと注意すればいいのではないかと思う。ファクト(事実)と名分さえあれば、誤解は解けてるものだ。良くないことは二度と起こらないよう努力すればいいし、良いことはずっと検索して維持しなければ。
そうだ。議論あるいは問題の中心にあなたの名前はたびたび登場する。
いくら経験をしても慣れないものがある。それが居心地の悪いことである時はさらに。鋭い弓矢がずっと飛んくるが、それは隠れたからといって避けることはできない。ただ早目に問題を正確に把握し、認めるべきことはなるべく早く、釈明しなければならないことは事実に立脚して動かなければならない。人生では原理原則通りに考えて動けば起きないことが多い。これからはそれを基本にしようと思う。
どんなことが一番難しいか?
「適当に」。私はこの言葉を生活に応用することが今でもとても難しい。ある状況では適当にすればより良い結果が出る気もするし、ある状況では適当にすれと悪い結果を招くかもしれない。何かを適当に維持するというのは実に難しい。
多くのものを手にした。もちろん熱心に努力しただろうが。
ありがたくも。そして、ある瞬間知ってしまった。いい車に乗って、高い時計をして歩き回るからと言って、自分が輝くのではない事。
欲を出しても持てないものがあるだろうか?
欲は多くない。とても安分知足(自分の分を守り満足)する性格なので、持てないものに対して悩まされることがないから心だけは楽だ。幼い時からおもちゃや服を欲しがった記憶がほとんどない。生活費を稼ぐために早く仕事を始めたから余計に欲張れなかった。
そうだ。相当早くこの仕事を始めた。いまだにカメラがにときめくのか?
あ、とても複雑な質問だ。時には怖いし、時にはときめき、時には懐かしい。すーっと持ち上げられたかと思えば、ある瞬間投げ出されたりもするのが私たちの仕事だから。カメラの中で私たちが調節するならいいのだが、それはいつも大衆の役目だ。拍手がナイフに変わり称賛が毒に変わる時もある。それを柔軟に受け流せる日が来れば良いが、やっぱり容易ではない。それでも最終的にはわくわくする方だと答えられるだろう。
俳優以外の修飾語がチャン・グンソクにはあまりにも多い。
おもしろくて興味深いことを追いかけていたら面積が広くなった。一つでもまともにするべきだったのに。私は基本的に何でも楽しむ気持ちがあってこそ体が動く。そうしてこそ過程も楽しく、結果もいいから。もちろんその中で一番忠誠度が高いのは演技だ。いくらやっても完成型にならないから、こだわるしかない。
才能が多いということだ。生まれつきの才能には追いつけない。
さあ、それは私が評価するのではないからそうに思われるとありがたい。いろいろなことを少しずつ味わいながら付いて行く時もあるが、その代わりにどんなことに特化して自信があるかと言われると、急激に口数が減りそうだ。感情を検閲する性格でないため、先に行動してから後悔するスタイルだが、その背景には私が楽しくなければならないという前提がある。テーマに関係なく、自分が楽しむことができれば今も私は'無条件に高'だ。
単語と単語の間の空白がほとんどない。達弁家だ。
時間がくれたプレゼントだと言えよう。以前は私が吐き出す言葉の重さが重すぎて大変な時もあったが、今は反対だ。感情ではなく、考えや経験から出てきた言葉なら、できるだけ早く正確に相手に伝達するのが礼儀だと考える。
久しぶりのカメラに慣れないと思うが全然緊張していない。
緊張した。ばれなかったのを見ると、演技がうまかったらしい。ハハ。
今チャン・グンソクの心臓をわくわくさせることは何か?
とりあえず今はインタビュー後に飲む一杯の酒?ダイエットするために長い間禁酒した。もう写真撮影が終わったからどんどん飲まなくちゃ。ふふ。美味しい食べ物もたくさん食べるぞ。炭水化物の大爆発が起きる予定だ。
最後に、チャン・グンソクの未来にはどんな約束があるだろうか?
揺れない人になりたい。重心をしっかり据えてうまくバランスを取りながら生きて行きたい。(終)