”「ベンハー」9/11、3時公演” | 韓国ミュージカルを 訳しまくるブログ

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近頃はメモ付き写真アルバムとしても使用中。


10日前というのがついこの間なのか、ずいぶん前なのか。気持ち的には随分時間が経ってしまったような気もします。いい加減にちょっと書いてみよう。

9月11日はいつもお世話になっているブロガーのぴょんきちさんと同じソウルの空の下と思ったら、劇場も同じだったことがわかりました。韓ミューファンあるある。

きちんと整理されたレポ/感想は、ぴょんきちさんのブログ上差しを参照していただくこととしててへぺろ下差しは1幕直後、私の友人に向けた叫び。

「インターバル。
何度も言ってますが、韓ミュー見始めの2017年1月、怒りも切なさも関係なくただ朗々と歌い上げるKAIモンテクリストを観て、ダメだこの人と思ったあの日。

今日はそんなKAIはいません。

私の目には、ただ運命に翻弄され、運命に挑み、抱え込んで固まりきっていた傷がエスターとの再会に柔らかく癒され、養父を失った衝撃に呆然としているユダ・ベンハーがいるだけ。

ユダの心の振幅がストレスフリーな歌声で余すところなく表現されている感じ。

この俳優はどう表現するのか?
そんな気持ちじゃなくて、俳優が誰なのか忘れさせてくれて、ただ物語の中で生きている人として見えるのが最高なんじゃないかと、涙ボロボロこぼしながら観てました。」

そして2幕終了後。
「ほあー、終わりましたー。カイさんの第一印象、捨てるべきだ。良かったー。夜のチケット捨てて、このままウンテ/ミンソンペアを観たい!

よく 日本のミュージカルは、俳優であって歌手じゃない、みたいなこと言うじゃないですか。


逆に言うと 韓ミューは、歌手であって俳優じゃない危険性があるわけで、代表は(言っちゃう?)かつてのどんちゃんとか カイさんとか。


ドンソク君のヘドウィグでの活躍ぶりを聞いたり、カイさんを見ていると、俳優としても日々成長しているんだなと頼もしい限りです。


さて、ソワレのチケットを捨てる事はなく、予定通り「こんなに普通の」を観に行きましたが、そっちを観れば観たで、また違った魅力に取り憑かれてしまいアセアセ

しかも翌日観た「シラノ」が初演とは段違いに良くなっていて素直に感激。

徹夜で大慌て、残りの日程と10月初旬の観劇予定をもう一度ひっくり返して検討し、上記3作ともなんとかもう1回づつ追加に成功 真顔キラキラ

作品の話に戻りましょう。
メッセラのムン・ジョンウォンさんを弱いと思ったのは初めてです。

大学路のミスターマウスでグァンホ君と一緒に出ているジョンウォンさんを聴いた時は、小ぶりな劇場に有り余る声量で、この人たちは大劇場しか出てはいけないと思った記憶があります。

けれど「ナメッセラ」で息切れしてるウワサは本当でしたね。ちょっとパワー不足なんでしょうか。体格もカイさんはじめ体脂肪率低めの出演者の中にあって、若干ぽっちゃりしている印象かな。

そんな感想を漏らすと、ミンソンメッセラはさすがだという声が多く、初演に続き再演も彼に当たらないのがとても残念になってしまいました。幸いカイ/ミンソンペアを追加することができたので、次回を楽しみにしています。

ぴょんきちさんも書かれてますが、私もユダとエスターが屋上で歌う「あの星」から泣き始めてました。歌詞が「運命は 空の星が知っているだろうか」


この後どんな思いで星を見上げるのか知らずにいるユダ。穏やかさ、慈しみ、ほのかな好意、すべて踏みにじられてしまうのねっ。観客ここで泣く、とト書きに書かれていそうな流れではないですか。これが泣かずにいられようか。


そんな不幸の発端となるメッセラですが、なかなか複雑な人物で今ひとつ自分の中で収まっていないキャラクターです。ローマ人でありながらユダヤ人の養子となることが、当時の社会でどんな意味を持っていたのか。


原作には無く、後から付け加えられた設定だそうですが、やはり

ユダヤ人→ローマ人→ユダヤ人のユダ、

ローマ人→ユダヤ人→ローマ人のメッセラ、

この対比を打ち出したかった、その意見に私も賛成です。


メッセラが再びローマ兵士になった経緯を知りたいものです。ユダヤ社会に溶け込めない彼が、本来のローマ人としてのアイデンティティを取り戻したかった。(彼に限らず、ユダヤ社会に溶け込める異邦人はいないと思います。)異国で生まれ成長した彼がローマ人として成功するには、軍人としてのし上がっていくしかなかった…?


実はあまり良く理解できなかった初演の時から、「帰りたい故郷」とはローマのことだと思い込んでしまったのですよ。完全なローマ人になりたいという意味だろうと思って。


ナメッセラを歌う前のピラトとの会話

「故郷はどこだ?」

「エルサレムです」

「ローマ人なのにエルサレムで産まれたのか?」

「父がエルサレム駐在の兵士でした」

「生き残りたいか?」

「はい!」

「それならしっかりしろ!一人でも多く殺せ。故郷に帰りたいなら!」


すでにローマ兵士になっていて、ローマ以外の土地での戦いなので(ローマでの戦いが正しい?)、単純に生きてローマに帰りたいのかと…でも最初に故郷は?と聞かれてるしアセアセ。やはり思い違いであったか滝汗


初演の時から、彼がエルサレムに戻ってユダたちを見返したいのだとは思ってませんでした。たまたま任務で戻ってきたから湧き上がってきた複雑な思いなのかとばかり。


そもそもメッセラの恨みつらみって

① ハー家の人々が気付かずに差別してた?

② 気づいてたけど当然と思って差別してた?

③ ローマ人にもユダヤ人にもなりきれない優越感と劣等感の複雑なからまり合いによる、勝手なひがみ?


私は③じゃないかと思ってるんですけどね。①も少しはあり得るか…。


この際、メッセラを主人公にした物語を作ってくれないかなニヤニヤ。結構ドラマチックになりそう。


ピラトのハーレム(勝手に命名)で、2人が相談している悪巧みは何かと思ったら、ピラトの記録に書かれていました。


「ピラト​は、約​40​㌔​離れ​た​場所​から​エルサレム​に​水​を​引く​送水​路​を​建設​する​ため、エルサレム​の​神殿​の​宝物​庫​の​お金​を​使った。ピラト​が​エルサレム​市​を​訪れ​た​時、大勢​の​群衆​が​その​こと​に​反対​し​て​騒ぎ立て​た。ピラト​は​偽装​し​た​兵士​を​群衆​に​紛れ込ま​せ、合図​と​同時​に​ユダヤ​人​を​襲わ​せ​た。」


偽装した兵士を指揮していたのがメッセラで、それを阻もうとしたのがローマ兵の偽装をしたユダたちだったのですね。


そうそう!メッセラが死ぬシーンで、一瞬ユダが昔のソフトな(フニャッとした)姿に戻って、よろよろと後ずさりして尻餅をついたのがとても印象的でした。辛酸をなめ尽くして身にまとうようになった見えない硬い鎧が一瞬消えて、「あの星」を歌っていた時のような、隠されていた柔らかで優しいユダが姿を見せたかのようでした。


ユダにしろメッセラにしろ時代や社会に強制されないなら、優しく、無邪気で、愉快で、いたずらな少年のまま成長できただろうに、とここでまた涙タラー


エスターのリナさん。歌が上手いのは勿論ですが、どの作品でも素敵な声と相まって嫌味のない演技が好きな女優さんです。カイさんと似た方向の声質ですが、勿論違う声で、2人のデュエットの美しいこと。耳福でした。


最後にアンサンブルの方たち。

2幕冒頭のダンスシーンはこの作品の売りの一つと言っても過言ではありませんね。


しかもこの人達はこのダンスシーンだけでも凄いけど、イスラエルの宗教指導者の時は頑固ジジイに見えるし、民衆の時は素朴に見えるし、歌も半端ないし!


歌って、踊って、演技して。万能!拍手拍手拍手


本来甘酸っぱい胸キュン物が好きな私にとって、大好きなお話!とは言えないベンハーですが、素晴らしい舞台なので、ウヒョク君と追加したカイさん、あと2回観る予定です。