100日チャレンジが
半分を過ぎたので
blogを始めた時から
綴って行こうと思ってた事を
始めて行こう
2019年の春
半月ほど
ニュージーランドに滞在した
自然豊か
羊も沢山
牛も沢山
馬も沢山
とにかく
全てが桁違い
しかし
「次に」
ニュージーランドに行くときは
観光「だけ」したい
「普通に」
自然を満喫したい
なぜ「」付きで強調するのか
ニュージーランドに
行った理由
それは・・・
一週間で
250㎞を走破する
と言う
耐久レースに
出場するため
だった
まずは
なぜ
そんなレースに
チャレンジしようと
思ったのか
と言う所から
綴って行こうと思います
心理学を学び始めて
数年が経った時に
衝撃の人との出会いがあった
なんとっ
サハラ砂漠の
耐久レースに出場し
完走したと言う
しかも
その半年後には
アマゾンの耐久レースに
出場すると言う
(無事に、完走して帰国した)
そんな彼等と
関わるようになった
最初は、応援をする立場にいた
耐久レースに出場するには
莫大な費用が掛かる
レース参加費だけで
数十万円かかる
それに加え
渡航費
レース前の滞在費
レース後の滞在費
全て自腹になる
ただし
レース開始前日と
レース最終日の宿泊ホテルは
大会側が準備してくれる
そして
装備の準備
装備は、大会側から
30を越えるアイテムを
必ず揃えるよう指示がある
アイテムごとの
数も決まっている
もちろん
1つでも足りなければ
出場はできない
レースキャンプ地へ
出発直前に
参加者、一人一人
チェックされる
この耐久レースは
一週間の食糧
装備品
着替え
寝袋
などなど
全て、自分で背負って
レース中、行動する
重量は、10kgを軽く越える
そこに、水2リットルが加わる
水と、キャンプ地でのテントは
大会側が準備してくれる
毎年、彼等は
世界のどこかで開催される
耐久レースに、チームで参加していた
私は、彼等が
日本を出発するときは
空港まで見送りに行き
帰ってきた時は
報告会を開催していた
レースから帰って来たメンバーは
激やせして帰ってくる
それだけでも
レースの過酷さを物語っている
足の爪は
何本かさよなら
する
歩くのが困難な状態で
車椅子で帰ってきたメンバーもいた
しかし
そんなにも過酷な思いをしてきた
メンバーは
キラッキラ
輝いていた
「死ぬかと思った」と
笑顔で語るメンバーには
経験したからこその
「何か」が
身体中から放たれていた
そんな彼等を初めは
「ど変態集団だ」としか
思っていなかった
しかし
その輝きが
私の心の中に
何かを芽生えさせていた
数年後
「次のレースは
ペルーのイカ砂漠に決まりました」
「参加したい人は、メッセージください」
と言うリーダーの投稿に
私は「参加する」と
メッセージを「しそうに」なった
「いやいやいやいや」
「ないないないない」
「無理だから」
と
自分のその思いに
一度フタをした
すると、暫くしたら
また「行きたい」思いが芽を出した
これをチーム内では
1%のワクワク
と呼ぶ
これはマズイ事になる
そう思わざるを得なかった
私は、とても耐久レースになんて
参加出来るような人間ではなかった
運動神経は
母親のお腹の中に忘れて来た
高所恐怖症
大量の水恐怖症
極度の乱視
参加できる状態ではない事は明白
なのに
心は、参加したいと
ぐいぐい引き寄せられる
この時は
イカ砂漠レースが
半年後に迫っていた時だった
物凄く考えた
自分の心と向き合った
結果
今から
イカ砂漠への参加準備は無理
と判断した
一番の問題は、やはり体力
耐久レースに出場出来るような
スキルは持ち合わせていない
簡単に「参加します」で
行けるようなレースではない
本当にチャレンジしたいなら
トレーニングをして
ちゃんと
「覚悟が出来るまで」は
行ったらダメだ
そう思った
そして、リーダーに伝えた
「次のレースに参加する」
その「次のレース」が
2019年の春に
ニュージーランドで開催された
耐久レースだった
レースまで、一年以上あったが
正直、私にとって
時間があるとは
到底言える状態ではなかった
しかし、決めた
「絶対に行く」と
それからの
一年数ヶ月は
私の人生の中で
最も濃い時間になった
したことのない事ばかりが
待ち構えていた
☆。・:*:・゚'★。・:*:・゚'☆
とても一度の投稿では
綴ることが出来ないので
数回に分けて
綴って行きたいと思います
では、また