そもそもなんですけど、

 

高校の時先生に嫌われるのも怖かったし

 

分からないですっていうのも怖かったし

 

分からないですって勇気出していったのに

 

聞いてもらえなかったら

 

もう諦めちゃう思考回路

 

なんでもう一回素直に

 

こことこことここも見たんですけど

分からないです(><)

 

これ以上は手が止まっちゃうので教えてくださいって言えなかったのか

 

だって先生も忙しいし

 

大変そうだし

 

なんか怒ってるし

 

甘えてると思われるし

 

先生に頼ったら私が成長しないんだ

 

って

 

頼ってたらもしかした

成長してなかったのかもしれないけど

頼ってなくても

私は成長してないからもう

本当に降参するしかないと思う

 

だて今でもそうだもん

 

自分でやろうとしたら

本当に手や成長が止まっちゃう

 

 

まだうまく言語化はできないんだけど

 

 

高校の時に私は

 

とても大きな無価値感を抱えていて

 

それがダメだと思ってて。

 

高校生活において

”自分の存在価値を感じたかった”

 

↑これがそもそもどこから来てるんだろう?

 

どこがはじまりなんだろうな~って

 

自分には価値がないって思ってたってこと???

 

価値がないっていうより

 

負けたくはなかったかもしれない

 

プライドうんぬんってよりは

 

これ生存本能なのかもしれない

 

負けたり劣ってたら

外されるかもしれない

 

目立ちすぎてもだめだし

目立たなかったらだめだし

 

↑だぶんこれも生存本能

 

”仲間から外される”

 

”仲間から外れたら生きていけない”

 

っていう自然界で生きてきた

人間の民族意識なのかなって

 

学校教育や

学校教育を作った人

親とか全部合わせて

 

とりあえずそこを辿ると

生存本能

 

カメレオンのように。

 

でもそれでも、

”無価値感”

 

にはたどり着かない気がしていて

 

無価値感は、

 

自分がやるべきことや役割を

全うできてないから起こるのかなって

 

掃除とか

他人のために能力を使ったり

協力しあえていなかったり

 

どこかやっぱり

出し惜しみしてるから

 

価値観を感じられなくなるのかなって

 

自分ビジネスとか

 

自己対話とか

 

いろーんなものやってきてるけど

 

でも、自分が自分の気持ちを

認めたり寄り添ったり

 

自分のしたいことできたとしても

 

自分の今いる場所での役割を全うできてなかったら

 

全体性としてのパズルのピースの不足感がでてしまって

 

全体的に見て

自分は欠けている

 

価値がない。

 

ってなってる気がする

 

高校の時私に何ができたんだろうな~?

 

穴が開いてしまっていたこと

きっといっぱいあるんだろうな~

 

もっといろんな人に絡めばよかったかもな~

(いや~でも絡んでたな~。w)

 

なんか不思議なんだよな~。

 

全体性の役割ってもっと自然に見えてきそうだし

 

一番学校ってものがそういうの色濃くでて

自分の特性や役割を見つけるいい場所っぽいのに

 

なんで私こんなに何も見えてないのかが不思議。