こんばんは。

 この話は書こうか書かまいか悩んでいましたが、先日ふとした時に、私の口から出て極自然に思い出したので、ここに残しておこうと思います。



 「死」について。私にとって、もちろん生きているので私の死は静かに怖さを感じていますが。やはり私にとっての死は、身近な人の死。

 でも死自体が怖いのではなく、一番怖いのは死ぬ間際の魂の燃え盛る炎を感じた瞬間です。不躾な言い方ですが、死体が怖いのではなく、死に向かっている体が怖い。

 なぜ私が死について語っているのは、卒業制作の時に出た一言の台詞で少し振れた「死」から。



 別れが辛いのは、多分残された人の特権です。淋しいとい感情でも貰ったと思わないと私はやって行けません。私は物心ついた頃から、冠婚葬祭の中で、とりわけお葬式に出席する機会が多くありました。



 死に向かっている体が怖い

 決定打を押した出来事は、私がまだ小学生低学年の頃。

 日本昔話のような山奥に住んでいる遠い親戚のおばあさんをお見舞いに行ったことがありました。

 病床も進行し寝たきりになったおばあさんを覗き込んで、やっと口を動かす彼女の口の動きを言葉として理解しようとしていたとき、

 いつもの と太い注射がおばあさんの骨張った細く青白い腕に打たれました。私は今よりその当時のほうが注射が大の苦手。

 だからおばあさんより早く目を反らしました。その私の視線をもう一度おばあさんに向けさせたのも、また、そのおばあさんでした。

 ぎゅっ

 おばあさんが、私の腕を指の形で痣が出来るくらい掴んだのです。

 振り払いたくても力で敵わない。しかも、振りほどいては注射の刺さっている腕が危ないと思ったのでしょうね。

 「おばあちゃんも頑張っているから、zigzagちゃんも頑張ってね」その家に住んでいる(おばあさんのお世話をしていたその家の奥さん)おばさんが、なぜか私を励まして。そのとき、恐怖を感じました。

 もちろん、おばさんにではなく、おばあさんに。

 暫く経つと、おばあさんは亡くなってしまっいワーワー泣いてしまったのですが、後々考えると死より、腕を掴まれた瞬間のほうが覚えていたんです。



 蛇足ですが、一昨年の年始に弟が生死を彷徨う事故にあって、その体と対面した時も非常ながら「あ、コイツ、死に寄り添ってる」と直感してしまったのです。怖くて言葉にはしませんでしたが。

 体は正直で、病院のトイレでひとしきり吐きました。



 以前はよく夢に出て来たのですが、京都に住んでからは減ってしまって、このまま消えてしまっては私のためにならないと、ここの書き残しておきます。

 不快に感じてしまったらすみません。


 ペタしてね
 ではまた