生まれて初めて歯科に行つた日の事は忘れません。
あれは小学校低学年の頃のことだと思ひます。母に連れられて、梅田の阪急百貨店へ参りました。前回お読み頂きました「百貨店の大食堂」に登場します最上階の大食堂でお子様ランチを召し上がつた後、キャラメルを買ひ与へられ、あとは散々人ごみを連れ歩かれる一方でした。はつきり小学生にとつては迷惑至極な話なのですが、かと言つて家に放つてをかれるのはもつと嫌なので、迷子にならぬやうにふらふらと母の後をついて行くのが精一杯でした。
そのうち人いきれで気分は悪くなる、足は棒になる、更に悪いことに奥歯が痛み始めたのです。虫歯といふものは一朝一夕に患ふものではありません。日頃の歯の手入れに落ち度があるからこそ発症するものですので、この日このタイミングで痛みが始まつた私は自業自得としか言ひやうがございません。キャラメルにまみれた奥歯が徐々にズキンズキンと痛み始めた私は、余りの苦痛に母に助けを求めました。
すると母は私の口を大きく開けさせ、奥歯の穴が空いたところに何と「仁丹」を詰め込んだのであります。今の若い人々は「仁丹」と言つてもご存知ないやもしれません。独特の匂いとハッカの味がし、直径1mm弱程で銀色の球状をしてをり、口臭止め、悪心嘔吐止め、二日酔い、乗り物酔いに効くといふ丸薬でした。
当時の中年以上のオヤジ族は、常にこれをポケットに忍ばせてをつたものです。はつきり申し上げて「口臭止め」以外に効果は殆ど無かつたと記憶してをります。オヤジ族がおのれの口臭を「煙草」といふ別の匂いで誤摩化すのと同じ論理で、その煙草が仁丹に代はつただけのものだと考へて遠からず…といつた処でせう。
私は母からその仁丹を虫歯に詰められ、強いハッカの香りと歯の痛みで頭がくらくらして参りましたが、無事…と言つて良いのかどうか判らねど、夕方家にたどり着いたのでした。
その夜、母に連れられ、生まれて初めて近所の歯科へ参りました。と言ひましても、当ブログ第2回で登場しました中島らも氏のお父上が経営される「中島歯科」ではありません。「田和歯科」といふ所で、田和様父子がお医者様でした。ご子息の方の田和先生はいかにも体育会系で、大きな体と野太い声をしてをられました。
診療台で苦痛と恐怖の余りしくしく泣いてをります私を、この若先生が「お前は男やろ!この程度の痛さで泣くな!」と、大声で一喝。引き続き患部に母の民間療法「仁丹」を見つけた若先生は「これ何や?」と、しばし不思議そうな顔をしてをられました。
残念ながら私の記憶は此処までしかございません。
後年母が語るところでは、この日先生に一喝された私は、それ以降人が変はつたやうに泣かなくなり、翌日からの通院も、嫌がりもせず自分から独りで行くやうになつたとか。
大袈裟に思はれるやもしれませんが、少年時代の価値観、そこから始まる人間の生き方といふものは、案外かういつた些細な経験、出来事が後に影響を及ぼすのでせう。
後日譚になりますが、この「森下仁丹」創業者の孫に当たられます森下泰氏は旧制甲南高等学校のご出身で「武士道」を求道される剣道の達人でした。私が高校生の頃、自民党出身で参議院議員となられましたが、選挙の応援に行つた記憶がございます。失礼乍ら、氏の顔を仰ぐ度に、歯に詰められた仁丹の匂いが頭に甦り、複雑な思ひを抱いたものであります。
もう一つ、デコレーションケーキ…と言ひましても、1970年頃は今のやうな生クリームではなく、バタークリームが主流でありましたが…このバタークリームで型採られた薔薇の花の上に、なぜか当時は仁丹にそつくりの銀玉が、スパンコール宜しくちりばめられてゐたものです。
楽しい筈のクリスマスや誕生日にケーキを頂く時、これまた歯に詰まつた仁丹を思ひ出し、心穏やかならぬ気持ちになつたこともまた、あの時の「後遺症」として私の記憶に刷り込まれてゐるのです。


