大阪北部地震から1週間が経過し、現地の飲料水不足も幾分軽くなつてきたやうです。引き続き関係者各位のご辛苦をお労ひし感謝致したく存じます。
震災当日は、私が夜間勤めをるタクシー運転手の皆も多忙を極めました。何しろ、JR・阪急・阪神は全面運休、それぞれの踏切も大多数は閉ざされたままでした。高速道路も夕方までは使用できません。通勤ラッシュもたけなはの時間帯における地震ゆへ、各駅でタクシーを利用せむとする人々が詰めかけました。さなきだに一般道を走る車が増えて渋滞する処へ、タクシーが流れ込む訳です。心が急いてゐる乗客のストレスもさることながら、タクシー運転手もまた往復とも渋滞に巻き込まれ、言ひ方は悪いですが、忙しい割に収益は上がらなかつたといふのが正直な処のやうです。
また乗客の中には、JR尼崎駅で5時間並んだといふ若い女性も居られ、生真面目で我慢強いこのやうな人を雇つてゐる会社は幸せだなあと感銘を受ける一幕もありました。
さて、今回はタクシー内の忘れ物のお話を致します。
通常、目的地でお客様が降車される折には、運転手は必ず「お忘れ物されませぬやうに」と声を掛けることが義務づけられをります。その後、後部座席や足許に置き忘れたり、落としたものがないかだうかを確認するのですが、これが夜間となりますと、黒いシートの上に黒いスマホが落ちてゐても、なかなか気付かぬものです。闇夜の烏みたひなものですね。
この現代、最も多い忘れ物がスマホだといふことは、皆様も容易に推察されることでせう。
車内の忘れ物は事務所に保管する場合もございますが、事務職員が少ない小規模のタクシー会社では、当該運転手に警察署へ届けさせることになります。乗務時間に制限のある運転手(前回談、隔日勤務21時間、日勤12時間)が、勤務中に警察署で状況説明に時間を取られることを喜ぶ筈はございません。
夜間酔つてタクシーに乗降したお客様が、車内に携帯電話を落とされます。客は酔つてゐるのでタクシー会社名は覚ゑてゐない、領収書も渡してゐない。落し物を手にした運転手は、忙しいのに警察署へ行くのは面倒だ。だうせ客は酔つぱらつてゐる、会社にも露見はしない…と、魔が差した運転手が、そのスマホを川や空き地に投げ棄ててしまふ…
運転手の名誉の為に申し上げますが、そのやうな人は滅多におりません。然し乍ら、高齢者が楽でない生活をし、睡眠を削つて日銭を稼がむとタクシー運転手になつた。その人がもし一時的にさういふ心境になつたとしても、それを一概に責めることが誰にできるでせうか。
今回の私からのお願ひです。皆様には、くれぐれもタクシー内にスマホを始め、忘れ物をされぬやう、伏してお願ひ申し上げます。
嫌な話になつてしまひましたので、最後に笑へる一席を。
先日のことです。大きな病院の出入口で屯(たむろ)する運転手が、昼間、病院帰りのご高齢者を乗せ最寄りの駅で降ろしました。病院に戻り、次のお客様を乗せたところ「おじさん、何か箱が落ちてるでー」と言はれました。手垢に汚れたその小箱、持つとカタカタ音がします。中身を確かめむと蓋を開けました。
運転手「ひえーつ」驚きの余り落つことしてしまひました。其処には生々しい色の “総入れ歯” が、彼に語りかけるやうに転がつてゐましたとさ。

