あるある、こんなことーー鍋のふたが取れなくなつた | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

還暦を過ぎたトリトンのブログ

団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 父母が二人とも90の齢を超へまして、昨年から介護が必要になりました。

 私には3歳上の兄がおり、兄夫婦と私ども夫婦で交代して、年中休まずに食事や投薬を施してをります。

 

 先日の日曜日は兄夫婦の当番で、私どもは休み。この日の夕方、兄嫁が手作りのハンバーグを拵えてをりました。

 フライパンで焼き始めたところ、認知症の母が横から手伝はむとするので「母さん、そこのフタをかぶせてください」と兄嫁が頼みました。母は、パンとセットになつてゐない強化アルミのフタをかぶせたまでは良かつたのです。

 

 程よく片面が焼けて蒸しあがつた頃合いを見計らつて、兄嫁がフタを取らむとしたのですが、片手では取れない。パンの把手を掴んで、フタを外さうとするのですが、どうしても取れません。

 慌てて火を止めて、兄を呼びます。今度は兄と二人がかりで、床にフライパンを置いて踏みつけ、フタの端を金槌で叩いて取らむとするのですが、蓋はしつかり嵌り込んだやうで、びくともしなかつたさうです。

 30分ほど格闘の末、遂にあきらめた兄夫婦は、その日のメインディッシュを断念しました。

 

 翌日月曜日朝、フライパンの方を延命してフタを壊さむと、フタを裏庭のブロック塀に叩きつける兄の姿。強化アルミの蓋はベコベコに凹むものの、それでも開くことはなかつたさうな。遂に諦めた兄は、金切り挟みでフタを切り刻んで、やつと取り外しに成功しました。しかし、哀れハンバーグは粉々になり、月曜の食卓に並ぶことはありませんでした。

 

 この顚末を兄夫婦から聞いた私は、30年ほど昔を思ひ出しました。

 当時、大阪市西淀川区姫島にて、私は製麺屋さんがオーナーをしてゐる饂飩(うどん)屋チェーン店に勤めてをりました。其処は本店に次ぐ2号店で、私は雇はれ店長として饂飩や丼ものを作る日々を送つてをりました。

 

 たくさんの丼茶碗や湯飲み、鍋焼き用の鉄鍋、大皿、小皿など什器も仕入れてきましたが、食器にはたまに相性の悪い取り合はせがございます。これは買つた当初にはわかりません。店で日々使ひ込む内、ある茶碗と小皿を重ねたところが、小皿がすつぽりと茶碗に嵌まり込んで取れなくなるといふ事態が起きるのでございます。どうにもこうにも、外すことが出来ない。これは主婦の皆様なれば、経験があられることでせう。

 そのやうな時は、致し方なく、片方を割つて、片方を生かすといふ苦肉の策を取らざるを得ません。即ち、小皿を生かすためには茶碗を割り、茶碗を生かすためには涙を飲んで小皿を割るといふ方法しかございません。

 

 ある日、私が小皿を助けるために茶碗を土間に叩きつけた処、両方とも割れてしまつたことがございました。通りすがりに偶然それを見てゐたカスリ姿の色つぽい女店員さん、何を誤解したのか私に駆け寄りました。

 

映画「緋牡丹博徒・お竜参上」より

 

 「店長、自棄にならんと、悩みがあつたら私に何でも相談してくれはつたらええのに」と、私のことを気遣つてくれたのです。私は吹き出しさうになりましたが、二枚目を気取つて「いや、ええんや」と言葉少なにその場を離れたのでございます。

 

ペタしてね  ペタしてね