「サイクリング」の日… 以前の問題として | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
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自転車に乗れるようになったのは、何歳の時?

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 それがし、幼少のみぎりより運動が苦手なることは、これまでにも縷々述べて参りましたとほりです。

 

 赤ちやんの仕草を観察致しをりますれば、掌でものを握る、引つ張る、口に入れる… 次第に力が付いて参りますと、1歳頃で鉄棒を掴んでぶら下がる事ができるさうです。此処まではよしとして、鉄棒の前回りが出来るやうになりますと、次は逆上がりとなるのが順序です。私は小学校の級友の誰もがやるこの「逆上がり」ができたのが小学5年生でございました。逆上がりは腕を曲げた状態で鉄棒を掴み、足で地面を蹴つて飛び上がるといふ理屈が、私には解らなかつたのです。

 また私、水泳に関しては、過去に散々お話ししましたが、「息継ぎ」が今でも出来ません。

 

 鉄棒や水泳と同じく、自転車もまた私にとつて苦行以外の何ものでもございませんでした。

 私の兄は小学生の頃より勉強も得意でしたが、運動もよく出来ました。子ども用の自転車を買つてもらふと、瞬く間に補助輪なしで乗りこなせるやうになつたものす。

 3年ほど後、私も兄のお古の自転車をもらひましたが、そもそも2輪で平衡を取ること自体が可能とは思へず、補助輪を付けたままで4年生くらひまで乗つてをりました。ところが、それまで子どもの教育に殆ど関はることの無かつた父が、不肖の次男の運動音痴に業を煮やしたのでございます。

 

 もう4年生にもならう男子の手前、昼間では恥づかしからうと考ゑたのでせうか。父は家業の終はる午後10時から私を家の前の道路に連れ出し、補助輪を外してまさしく2輪に作り変へた古い自転車を使つて、毎晩特訓を始めたのでございました。

 

 

 恐らくは、親獅子が千尋の谷に仔獅子を蹴

落とす気持ちだつたのか、或いは単なる危険な思ひつきだつたのか…。今でも忘れ得ないのは、家の前の急な斜面の頂きで、父が後ろから荷台をつかんで自転車へ私をまたがらせ、「ハンドルを強く握るんやないぞ!」と命じつつ、諸手をぱつと離したのでございます。

 

 私は無論、次第に加速し始めた驚きと恐怖から、ハンドルを力一杯握り締めてをりましたが、結局その体勢のまま横倒しに倒れ込み、ガードレールも無く高さ2メートルの真つ暗な側道へ落下したのでございました。現代のやうにヘルメットを被つてゐる訳でもなく、受け身の術も持たぬ私は、しばし深夜の狭い路地に横たはるばかりでした。

 

 この夜以降さすがの父も特訓を諦めましたが、私のほうは総身の怪我を乗り越ゑたあと、補助輪を片方ずつ外して乗り回すうちに、めでたく4年生の夏休み終はり頃には、2輪の子ども用自転車を乗りこなせるやうになりました。まさに「なせばなる」でございます。

 

 武漢肺炎による緊急事態の解除により、6月1日から学校再開となるまであと10日足らずではありますが、間も無く夏休みも始まることでせう。春に続いて夏の高校野球も無念ながら中止となりました。児童・学生諸子は健康に充分留意され、苦手教科の克服に費やされては如何でせうか? 思ひ出話がてら、拙い経験から余計な助言をさせて頂きました。