先週8月30日(金)昼下がりのことです。
JR立花駅前に在ります私の工房では、営業・納品用に古自転車が2台ございます。そのうちの片方の前カゴの中で妙な音がすると、駅の自転車一時預かり所の小父さんが知らせて参りました。
おいおい晩夏の怪談なるや?と、こわごわカゴを覗き込むと、なんと手のひらにも満たない大きさの仔猫が1匹うごめいてゐるではございませんか。見ればまだ目をつぶつた状態です。巷で時々、猫の尻尾みたひなオブジェを鞄の金具に吊り下げて歩いてをられるのを見かけますが、恰度その大きさくらひの尾頭付きの仔猫でございました。
折も折、自転車一時預かり所へマイチャリを預けに来られた若い男性が、「仔猫の声がする」と我が庭を覗きに来られました。全く見知らぬ方ですが、その男性はたいそう猫の生態に詳しうございました。彼が言ふには「これは近くに母猫が居るやもしれない。暫くそれを待つ方が良いが、一応親が来ない場合を想定して手配をしませう」と言ふや否や、近所の獣医に電話をかけて新生猫の扱ひを尋ね、なんと手際よく缶入りの猫用粉乳を買つて来られたのです。
そして「私は午後10時には帰りますので、取り敢へずそれまでこのミルクを与へて下さい」と言ひ残して去つてゆかれました。
写真を見て頂いても分かりますやうに、たいそう小さくて可憐でございます。早速猫用ミルクを与へますが、1回分10gをなかなか飲んでくれません。やむなくあおむけにして、注射器にミルクを入れて、人間の赤ん坊のやうに背中を叩いてゲップをさせやうとしますが、猫はやはり猫背ですゆへ、さうさう簡単には参りません。それでも何とか10gを飲ませましたが、厄介な事にそれを3時間ごとに与えねばならぬさうです。
私ども家族は困り果てました。仕事は5時に終はりますが、私は深夜アルバイトゆへ帰宅せねばなりません。これは一旦、猫を自宅へ連れて帰らうか、それとも男性から聞いた携帯番号に電話して、また明日来てもらはうか… しかしそれまでに仔猫が絶命しないか… などなど、仕事も手につかず思ひ悩む私どもでございました。
仕事場に戻つて頭を抱へて考へてゐたところ、目の前を野良猫が通過。これはもしや!と思ひ、その猫を尾行したところ、自転車の在る裏庭に入つて参り、顔を並べた私どもを警戒して睨みつけてをります。そこで仔猫を箱から出して土間に置いたところ、その野良猫は素早く仔猫を咥へて去つて行つたのでございます。
私どもは安堵して胸を撫で下ろしました。この間僅か3時間ほどでございましたが、なかなかの椿事で良い夏の思ひ出ができました。
さて、くだんの猫に詳しい男性には、電話でこの次第を説明しました。彼は安堵すると同時に、もし母親が出てこなければ自分が連れて帰るつもりで居られたさうで、少々寂しげでございました。
彼は翌日、私の仕事場を訪ねてこられました。昨日私どもと別れたあと、自分が飼ふ場合を想定して仔猫の名前まで考へてをられたさうです。仔鳥の雛が目を開けた時に初めて見た者を母親だと信じこむ、所謂「刷り込み」を思ひ、もし仔猫が自分の事を母親だと考へた場合、自分はその覚悟が出来てゐるだらうか… と、其処まで考へてをられたさうです。
動物どころか我が子にさへ虐待を加へるやうな事件が頻発する恐ろしい時代でございますが、その一方で世の中には奇特な、優しい御仁が居られるものよと、心中にほんのりと温かい光が灯るやうな出来事でございました。