地球の裏側の友人(アミーゴ)たち〈1〉 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 話は今から30年ほど遡ります。

 兵庫県の東端(大阪と県境を接する)川西、伊丹、尼崎を流れる猪名川河畔にかけて、ブラジル、ペルー、ボリビアから来た日系人の集落が、あちこちに点在しました。時はバブル経済の最後の数年、当時は建設現場の仕事も多く、彼らの多くもそれらの仕事に従事致しをりました。

 

 伊丹市神津地区に、大層よく流行つた居酒屋がございました。此処の女性経営者の商才には定評があり、当時この伊丹に増えつつあつた日系南米人たちに目を付けたのであります。

 彼女はその居酒屋が在るビルの地下に、ボリビア人女性を従業員として使ひ、マネジャーにも南米人を使つて自主管理させたカラオケ店(といふよりスナック、クラブの類)を開業したのです。店名は「アミーゴ」と申しました。

 

 これが爆発的にヒットしました。ミスユニバース世界大会などを見ましても、コロンビアやベネズエラなど南米の国々は上位入賞常連の美女の産地でございます。私も知人に連れられて遊びに行き、すつかり嵌まつてしまつたのです。

 日系人といふ触れ込みにも拘らず、日本語は殆ど通ぜぬ、専らスペイン語が飛び交ふ空間は、異国情緒満点でございました。奇しくも、カオマの「哀愁のランバダ」や、ロスデルリオの「マカレナ」が世界的に大流行した時期でもあり、広いフロアは常に歌ひ踊る人たちで満席でした。

 

 

 飽きつぽい反面、凝り性の私は、紀伊國屋で和西辞典と西和辞典を購入し、鞄に詰めてせつせと店に通ふのでしたが、そのうちに彼らの生態(生活態様)に深い興味を抱くやうになりました。

 

 さて「出る杭は打たれる」の諺どほり、この「アミーゴ」は余りの盛況ぶりから近隣店舗の妬みを買ひ、客と女性が同席することから「風俗営業法」の適用を受けることとなりました。その時から所轄警察署の指導が入り、日系人とは言へ外国人である彼ら彼女らは身の危険を感じたのでせう、徐々にその数を減らしてゆき、やがて閉店の憂き目を迎へるのでした。

 

 そのやうな中で突如起きたのが阪神淡路大震災だつたのです。身寄りの少ない彼らの借家の多くが全半壊などの大きな被害を受けました。

 「いつもスペイン語の辞書を抱へる男」として認識されてゐた私は、いまや彼らの数少ない理解者の一人と化してをりました。片言のスペイン語と辞書を駆使して、安価な代替家屋を探しに不動産屋を回つたり、国や市の補助金を申請したりと八面六臂の大活躍です。

 挙句の果てには、仕事探しや、その保証人にと、そこそこ立派な会社の人事・総務課まで足を運ぶやうになり、己の本業は何処へやら、1円にもならぬ人助けに日々現(うつつ)を抜かす羽目になりました。

 家族や友人はただ呆れてをりましたが、伊丹・尼崎周辺のボリビア人たちは私を「グラントリトン」と呼ぶやうになりました。「グラン」とは最大級の敬称で、建国の英雄などに付けられるらしく、私はおだてられ、つひイイ気になつてしまつたのです。

           (次号につづく)

 

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