翻弄された一家〈3〉最終話 | 還暦を過ぎたトリトンのブログ

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団塊世代よりも年下で、
でも新人類より年上で…
昭和30年代生まれの価値観にこだはります

 

 何ぶんにも、それがし幼少のみぎりでございますため、大人の世界の複雑さを理解する由もありません。

 

 それでも、放課後、立花の我が家を訪ねて来られたY女性教諭が、母と額を突き合はせるやうにして密談してゐるのを目撃致しました。無邪気に「ただいま」と帰宅した私に驚いて「ああ、お帰り」と応えるY教諭の目に涙が光つてゐるのを見ました。小学校ではおしなべて児童らの恐怖の的であるY教諭に、女の弱さを感じ取つた刹那でありました。別段「鬼の目にも涙」といふ諺が浮かんだ訳ではありません。

 

 その翌週から、家庭教師のY氏が我が家に来られることはなく、代打としてその同僚の方が来られることに決まりました。仮令夫と言へども「元担任教諭」には勝てなかつたのです。と言ふより、この状況下でY氏が家庭教師を続けることは到底無理だつたのでせう。

 

 Y夫妻には、Mちゃんといふ一人娘が居りました。当時Mちゃんは幼稚園児です。

 

 或る日、私が帰宅しますと、そのMちゃんが居間で我が父母と戯れてゐるではありませぬか。

 別居が決まつた後のY教諭は、国鉄立花駅の隣の駅である甲子園口駅近郊にアパートを借り、引つ越して来られたのですが、まだ新しい幼稚園が決まつてをりません。それゆへしばし、MちゃんはY教諭が勤務される間、トリトン家で預かることになつたといふのであります。

 

 驚くのは未だ早過ぎました。

 

 Y教諭が神戸と尼崎とを二往復し、立花のトリトン家にMちゃんを預けるのは大変だ。また引き取つた後、再び電車に乗つて甲子園口の自宅に帰るのでは、帰宅が遅くなつてしまひ気の毒だ。そこで、私、この小学生のトリトンが、Y先生の帰宅時間を見計らつてMちゃんをY教諭の家まで連れてゆく…… さう決まつたといふのです。

 まさに青天の霹靂であり「ハルノート」(昭和16年)も真っ青の一方的な通告でありました。

 

 力なく「何で俺やねん?」と尋ねる私に、母は「あんた、定期券持つてるやろ。タダで送つて行けるやん」…

 

 これには、さすがのY教諭も余りに「甘ゑ過ぎ」と辞退されたのでありますが、母は「それなら、お宅でトリトンの宿題を見てやつて下さい」といふ条件を付加しました。「ヤルタ密約」(昭和20年)顔負けの、Y教諭と母との談合が成立した瞬間であります。私の人権は何処へ行つたのでせう…

 

 

 翌日から、私は下校したあと宿題を開き、難しい部分、解らない問題を抽出します。そして夜6時半頃、Mちゃんの手を採つて電車に乗り、彼女を暮れなずむ甲子園口のY家へ送り届ける毎日となります。

 Mちゃんが「眠い」と言ふと、私は彼女をおんぶして駅からY家への道を急ぐのでありました。

 

 Y教諭は帰宅すると、甲斐甲斐しく夕飯の支度をしながらMちゃんの相手をしてをられ、つひでに私の宿題を見て下さいます。

 

 その横顔には児童らが恐れる険しい表情は既に無く、将来への不安を抱ゑつつも、気丈を装つたひとりの女が居るばかりでした。

                 〈完〉

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