【定記】迫りくる選択 | トクアのいつだって伐異的解釈

【定記】迫りくる選択

日々是選択也

いつだって二択やら三択で
煩悶三昧なのですよぃ。


そんな話。
といいますか、俺定義の備忘也。




何の選択で煩悶しているのかというと、
人との会話での、選択。


まず、相手から話題を振られた場合、
前提をどうするのか、選択しなくてはいけない。


俺にとっての前提事項の選択というのは、


「振られた話題に対し、
 自分の意見を入れるのかどうか」


これは結構判断が難しい。
相手が最終的な結論をどうしたいのかで変わってくる。
話しながら見定めるしかない。


でも、「前提」事項なのですよ。


話初めから、不条理の二択を迫られるのですな。
人との会話ってのは。


ふふふ、鬼がおるようじゃわぃ、、



例を出していくか。


ひとつの話題に対し、
理論や知識において、相手が優位にある場合は、


「自分の意見を入れない事が九割」


あとの一割は、その話題に対し、
自分にまったく知識がない場合、
自分の意見を織り交ぜていく。

自分の意見を織り交ぜる事でしか、
会話が成立しないからねぃ。


しかし、自分の意見を織り交ぜる場合、
その割合が難しい。

これは、自分の領域に、
どれだけ相手の話題を引き込むのか、
と同義であると考えている。


割合が多すぎると、
話題から話が外れてしまったり、
相手の意向に外れた結末になってしまったり、
そもそもの話題に対し、
不本意な状態になってしまう事が多い。


こうなると、双方にとって非常に意味の無い会話になり、
ただ会話しただけ、で終わってしまう。

ただ会話したいだけならそれでも構わないが、
個人的には好ましくない結末だと思っている。


しかしながら、自分の意見の割合を少なくすると、
何も発言できず、会話自体が建設的にならない。

そうなると、これまた、
ただ会話しただけ、で終わってしまう。


う~む。
難解であるなぁ。


と常日頃考えているので、


「自分の意見を入れるにしても、
 話しながらその割合を調整する」ようにしている。


まぁ、選択の決定を、つまり、
当該話題の会話における自分の立ち位置を、

できるだけ決めない、

という事にしているのです。


割合を決める最終的な判断は、


「相手がこの話題に対し、どう結論づけたいのか、
 分かった時点」とするのが妥当だと思っている。


分かった時点で、自分の意見を織り交ぜる割合が決まり、
結論に向かい、建設的(批判を含む)な会話が
できるのだと思う。


あ~、すっきりした。


と、言いたいが、
この判断には、非常に難しい問題が発生する。


「どう結論づけたいのか分かった時点」

 →「分かった時点」


分かっていると、俺が勝手に思っているだけで、
相手にとっては、そうではない可能性が否定できない。

つまり、俺の思い込みで判断するしかない、
という問題である。


この判断、間違えば、会話の成立に対し、
非常に致命的な発言をしてしまう確立が高い。


つまり、この時点は、


「会話自体を意味の無いものにしてしまう、
 もしくは、できてしまう」と考えています。


※できてしまう、と書いたのは、
 意図的にそうする時があるからのぅ。

 相手が非常に無礼な態度で、
 人と会話する気概が見受けれなかったり、
 下卑た話題だったりすると、発動しますねぃ。


ここでの判断基準では、
初めて会話する人や、
あまり会話してこなかった人に対して、
非常に見誤る事が多い。

失敗する時は、
いつもここでの判断を間違っている時ですなぁ。


しかし、親交が深い人に対しては、
高い確率で間違わない。

長年付き合っていると、
こういう思考の持ち主だ、と、
自分の相手像と、
相手との齟齬が無くなってくるから、
そうそう間違わないと思っている。


※間違っていない、と、
 俺が思い込んでいるだけな
 不条理思考ループがもれなく発動するので、

 「親交が深いので少々失礼でも仕方が無い、
  会話を維持するために、
  お主も頑張って建設しとくれ」

 と相手に補正を委ねる、委ねられるから、
 最終的に、間違わない(ことが多い)と考えて、
 この不条理思考ループをストップさせています。


 ま、分かりやすく言うと、

 「そんなにシビアに判断しなくても、
  おめーなら分かるよねぃ?
  てか、分かってくれぃ、、」

 的な会話を展開するのです、俺。
 
 ふふふ、ヌルイねぃ。



以上をもって結論づけると、
人との会話というのは、


「相手との親交密度によって、
 成立できるかが決まる」という事だと思うのねぃ。


これ、どうって事ないようで、
非常に不条理であるのよなぁ。


だって、


「親交密度を上げるには、
 会話の成立を継続させなくてはいけない
 にもかかわらず、
 失敗する可能性が非常に低い所から
 始めなくてはいけない」からねぃ。


これを打破するには、
相手との共通話題を見つけれるか、
という一点にかかっている。


共通話題は、親交度に関係なく、
似たような思考回路で会話できるので、
非常に便利。


でもね、共通話題って、
便利だけど、
反感を持たれる可能性を秘める、
諸刃の剣なのですな。


ともすれば、相手の入ってほしくない領域に、
踏み込んでしまう可能性があるからねぃ。


相手にとっては、
不適な笑みを浮かべる、
侵入者として認識されるかもしれない。

共通話題だけど、
思考が真逆な場合、
反感しか持たれないかもしれない。


ふー、ほんと厄介だわ。


ま、だからこそ、
人として齟齬の少ない、
天気や食事の話が巷で溢れかえるのだろねぃ。


今日は良い天気ですねぃ。


ああ、これは美味しいですねぇ。


会話に大事なのは、このような常套句に対し、
親交度を高めたいのだなぁ、と、
害意はないのだなぁ、と、
お互いに思う事なのかもしれませんねぃ。



さて、もー寝よう。

明日も選択日和に違いない。


晴れだと良いなぁ。。