みなさん、こんにちは。

 

もうすぐ、このブログを始めて一年になります。

 

みなさんとこの一年、いろんなことを共有してきて、

いろんな世界で、いろんな人生と交差して、

笑ったり、泣いたり、、、感動して、

いろんな感情を共有することができ、

本当に感謝しています。

 

その流れの中で、

私の中の小さなかたまりが、

私の中でだんだんと声をあげるようになりました。

その時から少しづつ、

その声と一緒に、

このブログを書いていったのですが、

それをもう外にださなければ、

私が私でいられなくなる、

そうなっていきました。

とても息苦しさを感じる状態だったのです。

 

私は、今日、ここで、

ひとつの区切りをつけたいと思います。

 

 

今日、ここで、みなさんに、

伝えます。

お聴き苦しい点、多々あると思います。

おつきあいいただけたら、とそう思います。

 

 

 

 

 

 

********

 

 

 

私は、小学校にあがる少し前、

父親の知人から性的な虐待を受けた。

私がこのことを初めて話したのは、今の夫。

それまで、誰にも言わなかった。

次に、臨床心理士に話し、主治医に。

そして、妹に。母親に。その夫に。そして弟に。

 

 

そして、両親が離婚する少し前、

父親は、私の一つ下の妹が中学生の時、

彼女に対して性的な虐待をしていた。

このことを知ったのは、彼女が離婚してから。

10年ぶりの再会の時。

母親もその時その話を初めて聴いた。

 

 

 

 

 

 

もうここまで書くのでいっぱいいっぱい

なのですが、伝えたい思いがそれより増していて、

書きすすめることにします。

 

 

私は何故これをここに書くのか。

以前は、自分の中で処理しているから、

よしとしていた。

処理。している。本当にそうだった。

でも、自助会を始めて、

私は少しづつ変わっていった。

 

処理。これは、今の私の感ずるところとはもはや違う。

私を取り囲む大切な家族に

この事実を知ってもらった時に、

一つの段階は過ぎた。

話すこと。

これは、私にとって長い長い道のりのひとつだった。

 

私はあの瞬間、

あいつの顔が目の前にあって、

そいつの目を見て、

これはなかったことにするんだ、

どうってことはないことなんだ、

と咄嗟に思った。

思ったんではない。

そうだった。そうだったんだ。

思う暇などなかった。

 

全身で恐怖を感じると同時に。

幼い私は、

恐怖と何事もなかったような感情を

精一杯に一緒にした。

 

その瞬間、

確実に私の何かが壊れていった。

 

幼い私は、

その、たいしたことはない、という感情の方を

選んでずっと生きていった。

何故誰にも言えなかったんだろう、

言わなかったんだろう、

今でも思う。

言えなかったのか、言わなかったのか、

それもわからない。

ただ幼い私は、

誰かに言う、ということはまるで考えられなかった。

 

それでも、どこかで、

たいしたことはない、と思うそばのどこかで、

とても深い深い深い闇の底の底の底の方で、

大きな大きな裂け目が私の中にできたことは、

体で理解していた。

今、言葉に敢えてするならば。

 

私はその深い底の闇をいつも感じていた。

無意識に。時に意識に上る。

それが私にとって当たり前だった。

その感覚はその後も、ずっとずっと続いていく。

 

私は、話した。

なら、

私は、誰に対して黙ってきたか。

 

それは、

この、私に対して だということなのか。

 

 

主治医、臨床心理士、そして、

身近な家族には打ち明けたことで、

私は時が経てば、何かが癒えていく?のか、

そんなことを思っていた。

 

でも、自分に、

今の自分と、幼かった頃の自分と、

今までの自分に、

黙ってきた。

 

人に話すことで癒されて、

あいつが悪いと人は言い、

あなたは何も悪くないと人は言い、

私だって、私は悪くないと言った、言ってきた。

小さい頃の自分にも、ちゃんと言った、言ってきた。

 

 

でも、私は、だけれど、

その記憶はそのまんま、残るんだ。

決して、私は忘れることはない、と思う。

 

許せないって気持ちも受け入れてる。

人のことを許せない気持ちも受け入れてる。

 

その事実が、そのままの事実で、

私に向ってきているんだと思う、今。

これまでは、いろんな自己防衛から

解き放たれるように、

癒される方に、このことを扱ってきた。

 

今、一つの、私にとっての事実として、

それは、ここにある。

 

私は幼い頃に性虐待を受けた。

父親は妹を虐待していた。

 

 

私から離れたところで、

みえてきた事実。

 

自分のこととしての今まで。

そして、離れたところとしてみた、今。

もちろん、今までも客観的にみることもあった。

でも、今の今は、そういう感覚ではない。

 

 

また違う衝撃を受けている自分がいる。

その自分を受け入れている真っ最中なんだと思う。

それは、拒否から始まり、怒り、悲しみ、受け入れる、

という道を歩むのだろうか。

 

もうあの時の頃のような

自分を自分で蝕む方法は選ばない。

そう、思う。そう、したい。していこう。

 

話したこと。

話してわかったこと。

自分に話してきたこと。

自分に黙ってきたこと。

そのままの事実。

それが、今、真正面にあるということ。

いろんな感情が渦巻き、

戸惑っているのが正直なところだが、

これをこの道を踏んでいきたい。

逃げずに。それしかできないから。

それしか、したくないから。だ。

 

その道を歩いていくことが

私のこのことに対する

精一杯の声だから。

 

 

 

 

自分が何故?

それは、未来に聴いていきたいと思う。

自分がこれから歩んでいく、

自分で選ぶ未来に。

 

 

 

 

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今私は50代。

これからも後悔なく人生をいきたい。

ひとつの区切りとして、

今日みなさんに、お話をしました。

お聴き苦しい所、たくさんあったと思います。

それでも、

耳を傾けてくださった方、

本当にありがとうございます。

みなさんが、聴いてくださったことを

大切にしていきたい、そう思っています。

 

おつきあいいただき、

本当にありがとうございます。

感謝しています。

 

 

 

 

性虐待の被害者が

少しでも自分を取り戻して

自分らしい人生を歩んでいけますように。

 

 

今日はここで終わります。

 

 

 

 

 

 

ZiggyRose