アシアナ航空が広島空港にて着陸に失敗し怪我人が出た。死者が出なかったことが不幸中の幸いである。

事故原因はあちこちのニュースで報道されているが、年間60回以上飛行機に乗り、そんな生活を10年も続けてきた身からすれば、航空事故は本当に他人事ではない。いずれ我が身、いや、明日は我が身と思うからである。

だが、航空事故が起きると自然とそこにナショナリズム的感覚が浮かんでくるという事実には率直にいって反発を覚える。これは知人に話したことだが、つい先日もドイツのLCC航空機がフランスで墜落した。その時、私は知人に「もしこれが中国のLCCだったら、どことなく『やっぱり…なんとなく中国の飛行機は危なそう』って思う日本人は少なくないのでは?」と語った。少なくとも、「ドイツのLCC墜落」と「中国のLCC墜落」では一般的日本人に与える印象が異なることは確かだ。

だが、航空機事故とその国への評価はまったく関係がない。航空会社はどうしてもその国を代表しているような印象を与えるので、航空事故はその国のイメージまでかたどってしまうが、実際には関係ない。もちろん、「今回の事故によってアシアナ航空には恐いイメージがついたから乗るのやめよう」は「消費者」として当然のことである。ただ、それと「だから韓国は…」というのはお門違いもなはな出しい。ドイツもアメリカもフランスもイギリスも、そして日本も、過去に墜落事故を起こした航空会社は存在するのである。

これまでに少なく見積もっても500回以上飛行機に乗ってきた身としては、飛行機事故というのは、いわば「交通事故」である。当たり前だ。どれだけレーダーや計器が発達しても、完全無人飛行にはならないのだから、やはりそこは人為であり、人為である以上ミスは起こりうる。バス、電車、タクシー。自分の命を預けている交通機関は無数に存在するが、飛行機も同じである。なのに、飛行機の交通事故だけは「だからあの国は…」「あの国の飛行機って危険なイメージ…」とナショナリズムに結び付く。重ねて言うが、お門違いも甚だしい。

アシアナ航空は事故再発防止を真剣にすべし、というのは私などが言わずとも世論がそうなる。しかし、アシアナ航空の事故=韓国への悪イメージは防止すべし、なら私にも言える。

恐いのは航空会社であり、国ではない。


中国人は「反日」なのか: 中国在住日本人が見た市井の人びと/コモンズ

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