諸葛孔明先生の私淑弟子・玄子(げんし)です。
孔明先生が蜀漢の後主、劉禅に書いた出師表を熱く解釈した
三国志仲間として交流させていただいている
ぴろれおにパパさんよりご感想をいただきました
出師の表、短くもあるその決意表明の文には、自身の忠誠、家臣達の鼓舞、劉禅への諭し、
蜀の軍事や政治のこと、あらゆる全てを語り
尽くされているとおもいます。
その全てを考え心配し、劉備のその人柄と
先に旅立った愁いを鑑み、涙を流す。
なんと、素晴らしい、本でしょうか。
私は、劉備が大好きで、人生観を自分に
見立てているのですが、劉備の偉大さも
よくわかりますね。
有り難うございました。大切にします!
ぴろれおにパパさん、こちらこそ本当にありがとうございます!
このメールを拝読して、心と目頭がジーンと熱くなりました。
嬉しいと気の利いた言葉が出て来なくなるのですが、私が伝えたいことをしっかりと汲み取っていただき、尚且つ大切にしてくれるという言葉にただただ、感激です。
感想メールを拝読しただけでも、言葉を丁寧に使われている方だと伝わってくるのですが、それもそのはず!!!
ぴろれおにパパさんはご自身でも三国志の世界を描かれているのです。
漢の覇道というタイトルで、劉備の末裔が、諸葛亮や五虎将軍の末裔をなかまにし、異民族を束ね、晋を統一する片腕となり、その後、右往左往する、なるべく史実を曲げず、架空人物を主軸として、歴史の伏線で躍動する話をかきました。
とのこと。
構想から5年以上かけた長編大作!!!!
あらすじを読むだけでもワクワクしてくるので、ご紹介させていただきます!
===ここから====
西暦二六三年、三国時代のバランスが崩れ始め、魏が蜀へ侵攻し、滅亡の危機にあった。
魏軍の侵攻は、蜀の首都成都に及びそうになると、劉禅は、魏に降伏することを決める。
劉備の孫、劉諶は、父劉禅の行為に憤慨し家族を殺し、自刃する。
劉諶の子である劉仁は、父の刃が浅かったのか、息を吹き返し張飛の子、張紹に助けられ、一命を取り留める。
死亡したこととされながらも、身柄を確保され、遠く南蛮の地に送られた。
この時、劉仁は齢七歳。
時は二七二年、ある日、劉仁が一六歳となったある日、魏から変わった晋と呉が争っており、呉の滅亡が刻一刻と迫っている。
劉仁は、諸葛亮の孫娘、諸葛果、孟獲と祝融の子猛虬と共に暮らし、武芸と戦略を叩き込まれ、文武両道、血筋の人柄を持つの勇者となった。
南蛮の地から、劉仁は、元蜀の人脈を使い軍団を作る。
その仲間には、往々に名を連ねる将軍たちの子孫であった。
その仲間とともに野望を抱く異民族と手を組み、晋と戦っていく。
多くの異民族軍を従え、劉仁は、仲間とともに首都洛陽にいた。
中華統一を果たそうと晋国は、司馬炎を皇帝とする一族が主権を握り組織は乱れ、晋の軍勢が異民族と小競り合いをしていた。
劉仁は、鮮卑討伐の寡兵として仲間と挙兵する。
そのとき匈奴出身であり晋の北部都尉将軍である劉淵と会い、その人生の岐路に立つ…
===ここまで===
私のように、孔明先生亡き後の三国志、、、どころか中国の歴史そのものにも全然興味がなくても楽しめそう!
というか、寧ろ先入観や固定観念がないから純粋に楽しめながら孔明先生亡き後の中国の歴史を、登場人物たちと一緒に臨場感を共有しながら味わえそうなワクワクな予感と期待を抱かずにはいられません♪
さらには!
「副将廖化伝」も執筆中なんだとか
長く、蜀の建国前から使えた、武将。
私も、影に隠れた、印象の無い人間です。
そんな人も、多くの才能を持っているはず。
そんな話を書きたいです。
とのことでしたが、印象のない人間だなんてご謙遜を!!!
でも多くの才能を持ちながらも陳寿が気にかけなかった人って、沢山いたと思います。
陳寿が記したあっさりとした英雄たちの履歴書から、どんな人間力を魅せてくれるのか。
副将廖化伝楽しみにしています!
三国志や中国の歴史が好きな人、興味ある人はこの機会にぴろれおにパパさんの作品をご覧になっては如何でしょうか?
アメブロでは主夫としての目線で育児日記を書かれています。
また、神社仏閣巡りが大好きな神社マイスターでもあるので、要チェックです
ぴろれおにパパさんのブログ
↑↓アメブロのブログにリンクしています
今回は熱くなる素晴らしい感想メール、本当にありがとうございました!!!
これからも三国志仲間として宜しくお願いします
玄子(げんし)