1964年、大阪で生まれる

中学3年のとき、厳格だった父親が末期がんになる

闘病生活を送る父の面会に行ったある日、

ナースステーションの脇で、医師と看護師の信じられない言葉を耳にする

「…あの患者、ホント口うるさい、末期がんで助かる見込みも薄いのに…」


あまりのショックに言葉を失う

腹立たしい思い…、悔しい気持ち…

程なくして父親は天国へ旅たつ

父親の遺言は ”人のために生きろ”

「患者とその家族の立場に立った医療ができる医師になりたい」と思い医者を目指す


4浪の末、京都府立医大へ入学

卒業後、病院の勤務医として働きながら腕を磨いていく

当初は外科を志望していたが、眼科のある教授に出会い、その人柄に惚れて眼科医の道に進む

2001年10月、転機が訪れる

母校の京都府立医科大学で開催された学会

一人のベトナム人医師から声をかけられる

「多くの貧しい患者が手術を受けられず失明している、なんとか助けてほしい」

半年後の2002年4月、ベトナムに旅立つ

今すぐに手術しないと助からない患者ばかり

3か月の期間限定の予定だったが、とてもじゃないが救いきれない

亡き父親の言葉を思い出す

”人のために生きろ”

そうだ、人のために生きたい

勤めていた日本の病院をやめ、ベトナムでの医療活動を継続することを決意

以後、日本とベトナムを行き来した医療活動を続ける


ベトナムでの旅費、滞在費、治療費などは、日本各地で治療をして得たアルバイト報酬でまかなう

ベトナム国内で治療した患者は 2,000人超

のちに、最新の機材を導入した眼科病院も建設(出資:メガネの三城)


現地の人の治療とともに、ベトナム人医師の育成指導も行う

2014年には、ベトナム政府より外国人に送られる最高位の勲章を授けられる

ちなみにこのすべての医療活動からは報酬を一切受け取っていない

そんな生活を20年間も続けている


ある医師に『アメリカで開業したら何億円も稼げる』と言われたのに対し、「そこそこ生活していければ僕はいい、余ったお金で失明する人が助かるなら…。僕も患者さんから幸せをシェアさせてもらっている。それが今の僕の原動力」そう答えたのが、


眼科医 服部 匡志さん!