終戦間際の北海道で生まれる

父は赤字続きのコンクリート製造会社を経営

子供ながら熱が出ても仕事を手伝わされる日々

食事を満足に食べられない貧乏家庭

ある日、あまりの空腹に「もっとご飯が食べたい…」と口を滑らせる

激怒した父に味噌汁をぶっかけられながら怒られる

小学校高学年になっても自分の名前を書けず

成績はオール1

とにかく集中力がなく成績は振るわない

父から『お前は頭の悪い親から生まれたんだ、だけどあきらめるなよ、人の2倍努力しろ、人と違うことをしろ』とことあるごとに言われる

しかし ”人と違うこと” を間違って覚えてしまう

高校受験は校長先生に無理やり米を渡し、裏口入学

テストはすべてカンニングで切り抜け

授業料を自分で払うことを条件に短期大学へ進学する際もカンニングでスルッと合格

様々なアルバイトをしながら学生時代を謳歌

卒業後は、就職先が見つからず、しぶしぶ父の会社に就職

子供のころと変わらず、ボロ雑巾のようにこき使われる

ある日、自分の過失で火事を起こしてしまう

「…このままじゃだめだ…もう家出するしかない…」責任を感じ家出

友人の家を転々としながら、広告会社に転職

ここでも注意力散漫でミスばかり、サボってパチンコ三昧

当然ながらクビ…

結局、父の会社に戻ることになるが、意外な言葉を投げかけられる

『…うちの会社は毎年赤字だ、お前もこれからは自分で自分の道を考えろ‥』

「さて、なんの仕事を始めればいいのか…」

地元の街に家具を扱う店がないことに気づく

家族から100万円を借りて23歳のときに家具屋を始める

店名は「家具卸センター北支店」

”卸し”と書けば安く感じる、”センター”は規模が大きそう、”北支店”だと本店がどこかにある、という理由から

しかし相変わらずのサボり癖と対人恐怖症で家具は全く売れず

時々入る配達のため店を閉めると、大家から「店は閉めないでください」

仕方ないので奥さんにお店に立ってもらう

奥さんの接客が抜群で店が繁盛!

接客と経理は奥さん、自分は仕入れに集中

役割分担が明確になり業績は好調、勢いそのままに2号店をOPEN

しばらく売れていたが1年後にピンチ

目の前に5倍の広さを誇る大型家具店が出店

一気に経営難

「何か打開策はないか…」

32歳のとき、すがる思いで、米国のロスで行われた家具業界向け研修セミナーに参加

本場アメリカの販売スタイルに衝撃を受ける

家具をカテゴリー別に揃えるのではなく、部屋をトータルコーディネートした買う側に立った売り方

価格も日本の三分の一、多店舗展開で大量生産し、コストを圧縮し客に安く提供

「これだ!日本人の暮らしをアメリカ並みに豊かにする!」帰国後、経営難ながら銀行や地主と粘り強く交渉

3号店のオープンに全力を尽くす

資金がないので、低予算で工事ができるエアドーム型で建設

意気揚々と迎えたオープン前日、またもピンチ!

前日に振った大雪の重みでドームがつぶれお店はメチャクチャ

中に陳列していた家具も傷だらけ

明日のオープンに間に合わない…しかしすでにオープンは告知済… 絶対絶命のピンチ!

逃げるわけにはいかない、秘策を以て、腹をくくり勝負に出る

『オープン記念!キズ物、大特売会!』と称し家具を激安で売ることに

これが来店客に大ウケ、まさかの大盛況!

キズ物だけでなく、新品家具までどんどん売れる

父から学んだ ”人と違うこと” で、見事にピンチを脱出

その後は、次々と店舗を出店

時に、社員20人のうち15人が会社の金を横領し従業員5人で再出発することになったり、

時に、洋室を意識した家具を仕入れても理解が得られず、ちゃぶ台がないのかと客に激怒されることもあり、

それでも信念は絶対に曲げなかった

「10年間は店づくりを中心に」

「その後の10年は人材づくりを中心に」

「さらにその後の10年は商品づくりを中心に」

「30年かけて日本の住まいを豊かにするんだ!!!」

その夢は現実となり、今では誰もが知る「お、ねだん以上」でお馴染みの大企業へと成長させた

ADHDという発達障害を患い、何度も逆境に立たされながらも、ひるむことなく自分の信念を貫き歩み続けた80年。

36期増収増益、全世界に902店舗、売上高9,000億円企業を一代で築いたのが、

株式会社ニトリホールディングス

代表取締役会長 似鳥 昭雄さん!