「心は何から出来ているか」山鳥重著   角川選書2011年

を読んでいます。

山鳥先生は医学博士で東北大学等を経て、現在退官されています。


この本は

こころの成り立ちを脳の言葉でなく、こころの言葉(普通の言葉)で、明らかにすること」を目的に書かれています。

ですから、

ギリシャ時代からの歴史的な心に対する考え方から、

現代の骨相学、進化論、知性に関してのスペンサーの進化論、

そして、脳のしくみ、例えばニューロン、シナプス、三位一体脳が概観されています。

三位一体脳とは、ヒト脳の3種類の質の異なる構造で

原爬虫類、古哺乳類(辺縁系)、新哺乳類の構造を言います。

さらに、知・情・意、情動、感覚の心理学的説明が加わります。


以上のような内容ですから、心脳問題のようなテーマは残念ですが、多くは記述されていません。

ただ、この問題はほって置くわけにはいかないとして、

心と脳の関係を6種に分けて見通しています。たとえばデカルト的な見方、とか創発するとか、随伴するとか。


そして先生の考え方は

複雑な神経活動の発達の歴史のどこかの段階で、心の活動が出現し、神経過程の一定の活動に対応しながら、心の活動も進化してきたのだと考えられます。この対応は、決して特定のニューロン・ネットワークの活動と特定のこころの過程が1対1で対応する、などと言う物でなく、ある量を含むニューロン・ネットワークの構造が、あるおおまかなこころの働きに対応し、こころはこころで、物理化学的機能構造である中枢神経系とは異なる、独自の構成原理を持って、こころを進化させてきたものと考えられます。

神経過程と心理過程は、神経過程が心を創発させる、という脈絡において、緊密に対応していますが、だからと言って、神経過程その物が心理過程であるわけはなく、おたがい、質の違う世界を実現しているのです。

とあります。


こころと脳は緊密に対応しているが神経過程と心理過程が異なると。

では肝心の、どう対応しているかとか、またどう異なるのかは、書かれていません。

多分分からないからでしょう。


それと、クオリアについては

わたしはクオリアを、・・漠然とした、瀰漫性の、どこにも切れ目など入れようがない、もやっとした、経験だと考えています。感情という、こころの経験に共通の、主観的性質(自分にしか経験できないもの)そのもののことだ、というのがわたしの考えです。感覚性感情は、ですから、その経験自体がクオリア経験を包含しています。すべての感覚性感情は他人が絶対経験できない心理現象だという意味で、すべてクオリアなのです。」と。


クオリアは主観的性質そのもののこと、とはどういう意味でしょうか。物理的意味をなしていません。言葉を変えて言っているだけです。


確かに、難しくよく分かりませんので、先生もお手上げなのでしょう。

以上のようにこの本は、心についての心理的概観は充分なのですが、機構的な説明がないのです。


続き、心象等は次回で。