「東洋の知で心脳問題は解けるか」大谷悟 海鳴社

の第3章「物体は存在しない」より。この章にはヨーロッパの唯心論が書いてあります。



さて、

前回に説明した、道元の(東洋的)唯心論の立場では

意識=できごと=時間は汎在している。できごとはいっしょになってここに出現し、進行している。自分の内側の意識と、それがとらえている外側の対象、というふうに分ける事はしない。この二つは、実は一つの同じ事態・同じ現実であると考える。

のです。


この「心」は、モノを含んだこの現実の全部、あるがままに感じるこの事態の全体をさしている。」という意識論、

“意識が全てを認める”という意識論、

これが道元の唯心論というのです。


でもこれと、ドイツ観念論も同じ・よく似ているのではないですか?以下カントに言及がありません。


先生は以下のように言われます。

とくにルネッサンス以降の近代文明をおもに支えてきた、西洋の男達は、東洋的な「唯心論」思考などには、そう簡単には与しないであろう。・・・彼ら特有の自尊心や、長い自己中心的な歴史、それに加えて、いまだに根強い黄禍思想などが理由としてあげられる。

そもそも西洋の男は、大変に空間志向、量化思考が強いから」そう簡単にくみしない。とありますが、本当にそれが原因で東洋的唯心論にくみしない?


そして、そこでどうして意識=時間が出てくるのでしょうか、時間も空間も意識の中では同じ位置にあると私には感じられますが、私には理解できません。



でも先生は以上の事を言いながら、西洋人の唯心論を紹介しています。どうしてなんでしょうか?

近代西洋の唯心論哲学の祖とは、知る人ぞ知るジョージ・バークリー僧正(16851753)である。」と。


そして彼の思想内容をも紹介します。細かいところは省いて

バークリーにとっては、世界は、客体・実体と、それが私たちの脳神経系に働きかけることによって生まれる感覚、という二重構造は持っていない。私たちがいまだに漠然と信じているこの二重構造は、誤りである。世界にあるのは「感覚」と呼ばれるところの、この現実のみである。そして一つの感覚はもう一つの感覚の原因になることは出来ない。つまり、彼は因果律も否定した事になる。

というのが先生のバークリー論です。

でここで気になるのは、因果律の否定という事ですが、具体的には

火に触れて、私が痛みを感じたとき、火が原因で、痛みが結果ではない。ただ「火」という感覚が、私に痛みを事前通告するだけだ」ですが、これで因果律を否定したといえるでしょうか。言えませんよね。何か変。


でも、これは次に先生が主張したい伏線になっています。

それは、

感覚は感覚を生み出せない

選び出した認識の一クラスは、もとの認識の内容を生み出せない

と発展します。これはまだバークリーの意見ですが、

これを先生は次のように言い換えます。

「選び出した認識の一クラス」を、「脳細胞とその膜電位の変化」という特殊例に置き換え、「認識の内容」を「意識」と言い換える」、すると、

脳細胞の活動は意識を生み出せない」、となるのです。


でもこの論は、変だと思います。言い換えを、正しくすると

脳細胞の活動は、もとの意識を生み出せない」となるので、意識から脳細胞の活動を生み出すようなイメージになってしまいます。

そして、私が一番変と思うのは選び出した認識の一クラスは、もとの認識の内容を生み出せない」にある、選び出した認識の一クラスもとの認識の内容とは、同次元の概念であるから、先生の言う「意識」と「脳細胞の活動」とは置き換え不可です。


バークリーのほかに、さらにサルトルとベルクソンについても、引用がありますが、ここではサルトルだけを。

サルトル現象学の要点は、自我を核・中心のように扱うのをやめ、意識の方を優先させたことだ。意識の中に現われる対象の一つが、自我なのである。つまり、自我の方こそが、意識から「超越」している。意識の外にある。そして、その意識を可能にするのが、世界=対象なのである。」と先生は解釈します。

そして

「こちら側」ではなく、「向こう側」つまり「世界」の方に主体性を与えたサルトル。彼の哲学は、私には、大変に非西洋的なものに感じられる。そして近現代のあの、西洋を中心として広まった脳哲学の考え――「こちら側=私の脳」が世界の認識を生み出しているとする誤り――にも鋭く対立している。

と評価しています。


なにがなんでも東洋的なのがいいのです。非西洋的な西洋の思想家は西洋人じゃないようです。


それに、

“脳哲学の考え――「こちら側=私の脳」が世界の認識を生み出しているとする誤り”

と今更のように言っていますが、これなどもうとっくの昔になくなっていますよね。


以上が、先生の西洋の唯心論解釈となります。

東洋の唯心論と西洋のそれはどこがどう異なって、どこがどう同じなのか。

西洋の唯心論・多くある西洋の唯心論では、先生の言う“心脳問題”は解けないのか?書かれていないから、よくわかりません。