私はこの手紙を読み、「そこで、足下は決然として自分で決断し、今より手を下して、使者を斬るを務めとせよ。」に至ったとき、思わず笑ってしまいました。(笑ってはいけないんでしょうけど)
松陰先生は玄瑞の事を上目目線で試しています、この手紙を読んだ玄瑞の思いはどうだったでしょうね。
「再び玄瑞に復する書」 安政3年7月25日
三たび書を頂き、かたじけなき事です。ざっと棒読(漢文を音読)一番、僕、従前の疑いさらりと氷解した。
足下の言うところの、外国使者を斬るという思いは、外国人の手紙を読み、考え出された物であり、真に誠に名分がある。これは決して空言ではない。僕が先に思っていた事、ここまでには至っていなかった。足下を、空虚で飾っただけの人間あるとしたのは、僕の過ちであった。
そこで、足下は決然として自分で決断し、今より手を下して、使者を切るのを務めとせよ。僕はまさに足下の才略を見ようと思う。
最近の天下は、大砲兵器は不十分と言うほどでないし、金銭物品も困窮していないし、人材も乏しくないのである。
足下が誠によく使者を斬る行動を成功させれば、則ち縦横に逃げ走り廻るとも、僕は足下を助け、きっと困り果てる事無い事を保証する。
また考えてみると、癸丑・甲寅(ペリー来航時)の頃、僕は微力であったが外敵の討伐を謀った。しかし、才なく略なく、計画全てが瓦解する。
ここにおいて、艦に乗り込み渡海の挙を決行した。
今となっては、舟、風浪を誤り、捉えられ獄に繋がる。
その結果、旧い見解を棄て新策をめぐらし、心を聖賢の道に潜め、思いを治乱の源に致せること、大略は前の2書に書いた通りである。
しかし、足下はあえてそうでないと言うのならば、これは自分で自分の才略でその事を実行し証明するだけである。誠に僕輩の及ぶところではない。
今思うに、癸丑の年に僕は東におったのに、アメリカの使者を斬ろうと考えなかった。その冬、ロシア艦に乗ろうとして長崎に行く途中、西の方肥後に行った時、宮部は強く僕が臆病で意志の弱い事を責めた。
僕は反対に、彼が長崎にいるロシアの使者をどうして斬らなかったのかとなじった。しかし宮部は斬る必要が無いと言って反覆し、屈っしなかった。
甲寅の年に及んで、僕は宮部と同じく東する。あるとき憤然としてアメリカ使者を斬ろうと思った。しかしその時はもう、益なく害あるを思い、その計画を中止した。大体僕輩の無能なる事以上の如くである。
足下のいう言が実行されるのであれば、*実に天下万世国家の青赤の福である。どうしてただ名を歴史に残し、功績を金石に刻み込むだけであろうか。
しかし、とは言っても、その言が実行されないならば、僕輩と何も変わらない。その時は僕は益々、足下が空虚で上面だけの人間であると責めるであろう。
これでも足下僕に向かい反論するや否や。 寅復す。
7月25日
(完)
*青赤の福である(原文は:実天下萬世宗社蒼赤之福也):
この部分意味不明なのか、原文には誰かが付けた、傍点あり。
私が思うに多分、赤福餅・青福猫の縁起物にかこつけた表現で、意味は天下国家の幸い。?