久坂玄瑞の文章がどのようなものかはわかりませんが、松陰先生の評は辛辣・手厳しいです。先生の久坂に対する期待がこのような評を作らせたのか。

久坂玄随の文を捜し次回に挙げたく思っていますが、見つかるかどうか。


「久坂生の文を評す」                 安政3年6月2日


議論は浮き足立っており、思慮浅薄、とても“至誠が内より出る”という言ではない。世を嘆き憤っていると装い、意気と節操があると装って、名利を求める者と何ぞ異なる事があろうか。

私は、この種の文を深く憎み、またこの種の人間をも憎む。

私はただこの事だけを言わせて欲しい。また貴殿はよろしく精思して欲しい。


およそ国勢を論ずる事は、上は神功皇后、下は豊臣秀吉が出来るのである。北条時宗は道徳の廃れた世に生まれ、急の戦乱を考慮して、下した一断が偶々的中したのであり、一時の傑物である。しかし、だからと言って国勢を論ずるに価しない。


使者を斬るという事を癸丑(ペリー初来航時)に行なうのはよい。これを翌年の甲寅(条約締結時)に行なうのは遅すぎるのでよくない。だがひょっとするといいかもしれない。だがさらに翌年・乙卯を過ぎて今日・丙辰に至るは、遅きのまた遅すぎるのだ。

というのは、大抵の事を行なう時機・好機は、影の如くまた響きの如く去来するのである。だから、かつての死例(時宗の例)をもって、今日の活変を求めようと思う。難しい事である。

上に言う所の思慮浅薄はこの事である。


天下に、してはいけない土地など無く、してはいけない身体などは無い。だから国勢を論ずるのもいいのだけれど、ただ事を論ずるのには、まさに己の地・己の身より意見を発すべきである。すなわち着実を求めるのだ。


だから、自分が将軍の地位にいるのならば、まさに将軍の立場から意見を述べるべきで、また自分が大名の地位にあれば、まさに大名より起こすべきなのである。百姓は百姓より起こし、乞食は乞食より起こす、地を離れ身を離れてこの事を論ずるべきではない。


今貴殿は医者である、だからまさに医者より起こすべきだ。

私・寅二は幽室の囚徒である、だから囚徒より起こさなければならない。


さらに、利害心を絶ち、生き死にを忘れ、考えるのは、国のみ、君のみ、父のみなのだ。

家と自分とを忘れる、その後には家族がこの事に従い、朋友もこれに従い、仲間もこれに従い、上は殿様に誠と信頼され、下は民に信じられる。

このようにする事、これを将軍がなすべきであり、大名がなすべきであり、百姓・乞食もなすべきの事なのである。すなわち医者から囚徒に至るまで、してはいけない者はいない。


この事を論じないで、いばって天下の事に口を出す、この事は、口焦げ、唇がただれるまで力説しても、益があるとは思えない。

上で言った議論が浮き足立っているとはこの事である。


さらに貴殿が任務とする所は、弓馬であるか、刀槍であるか、舟船であるか、鉄砲であるか、又そもそも大将であるか兵士であるか。そして神功皇后の時に遇っていれば、間違いなく武内宿禰であれるか、豊公の時に遇っていれば、間違いなく黒田如水であれるか、加藤清正であれるか。


家族・朋友・仲間で、貴兄に従い節義で死ねる人が何人いるか。貴兄のために力を出さんと思っている者は何人いるか。貴兄を助け財を提供する者が何人いるか。


聖賢の尊ぶ所は、議論なのではない。事業・行動にある。

多言をついやす事無く、誠を積みこれを蓄えよ。


(完)