「光の場、電子の海。量子場理論への道」吉田信夫
を引き続き読んでいます。
で、今日は「光の場」。
いやあ、なかなか大変です、イメージつくりにいそしんでいます。
光が粒子であるというイメージがアインシュタインの光量子仮説で、私の頭にあったのですが、そうじゃないんです。
ディラックの場の量子論、論文「光の放出と吸収の量子論」、この解説文を読むだけでも大変です。ここに書かれてある解説だけでは、確実に消化不良になりそうです。
事実なっていますので、理解誤りがあるのかも知れません。
つまりこの本もそうですが解説本は、結論だけを引っ張ってきて、それについて解説を加えている。途中の式の流れの意味は省かれるのが常です。
当然仕方がないのだろうが、1冊だけ読んでイメージが出来上がるようにはなっていないのです。更なる勉強が必要です。
しかし私なりに表面の上面だけの理解、
光に関して、
「光量子とは、光の粒子と言うよりも、振動のエネルギーの要素なのである。」
とか「エネルギーhνのまとまりがn個存在して・・・このエネルギーのまとまりこそ光量子にほかならない」
そして、ヨルダンの弦の量子論はなんとなくわかります。ここから電磁場を要素波に分解し、そのエネルギーがnhνで表現され、結局
「光の状態とは、光量子の個数のことなのである。」
となるのです。
つまりhνという量子が3次元空間にいっぱい詰まっており、
またそのhνがνの振動をしておりその相互作用により
hνつまり光・光量子が伝播していく。
だから、
電子からエネルギーを放出されれば、光量子hνが空間から出現し、
また、電子にエネルギーをとられると光量子はおとなしくなる(消える、振動しなくなる)
エネルギーをもらえれば、真空から光子が生まれてきます、
反対に光子のエネルギーを奪えば真空に戻るのです。
これらは、シュレーディンガーの方程式とは全く異なります。
また、
「光子はもともと電磁場の振動が持つとびとびのエネルギーを粒子であるかのように表現した物にすぎず、そもそも位置を特定できる粒子ではないのである」
という事で、
「したがって、1個の光子が何メートルもの拡がりをもっていることもありえないわけではない」のです。
そうすると真空は
「振動数がゼロでエネルギーを持たない無数の光子に満ち溢れている」事になります。
以上の議論では、電場・磁場の電磁場を使って議論するのが厄介なので、電磁ポテンシャルを利用します。
電磁ポテンシャルをつかうと、電場・磁場両方を取り扱えますが、
その物理的意味がはっきりしていない、計算を容易にするための虚構に過ぎないのか、よくわからないのです。
以上が、「光の場」の章のつまみ食い的解釈です。
空間を電磁ポテンシャルの振動と解釈し、それを量子化し、光の意味を再度解釈しなおす、となるようです。
しかし、光の空間移動の方程式は説明されていません。どうなのでしょうか。
このあたりは、別の教科書とか、前回の佐藤先生の本を見て再度勉強します。
この”場の量子論”で、
よくわからない確率波を再度見直したらどうなるのか、
また“量子の絡み合い”もどう解釈できるのか、
これらに対して、この本はどう書いているのか、またはいないのか。
楽しみです。
いずれにしても光は奥深いものだと再認識しました。
次ぎは「電子の海」です。