「白楽天の詩を読む」                安政3年3月8日


白氏の長慶集、詩がおよそ37巻あり、そこには一言一言情があり、一句一句に実がある。浮薄(ふはく)の雰囲気は無く、華飾(かしょく)の趣も無く、一度の朗誦で、その志を知る事ができる。


思うに、世を憂い、民を痛み、君子をよく補佐し、小人を憎むの言葉でないならば、きっと道を楽しみ、身をよくし、分に安んじ、境遇に従うという事であろう。

この事を外しては、一言一句の意味をつかめない。


権勢と利益を求めず、神仙を信じず、丹薬のような霊力のある薬に惑わされず、骨肉である身内に厚く、朋友に真心を示す。

以上の事は常にその詩の中に見られる。


概してこの事を言えば、彼が朝廷の役人であった頃、また若年から壮年にかけては、世を憂うる言葉がおおく、民間である江湖にいる頃から老年にかけては、道を楽しむ意味が多く含まれている。


白楽天は多分聖人の学問において、元来備わっているものがあったのであろう。また仏教、道教にも造詣が深いし、生まれつきの性格が楽天的である。

であるから、彼の詩がそのようなのである。


楽天の名は居易であり、若い頃よりそのように命名していたのは、きっと彼の志が終始一貫しており、この事が最も尊ぶべき事である。


楽天の詩に張籍 (ちょうせき・中唐の詩人・あまり出世出来なかった)の古楽府を読むと言う詩がある。言う。

「上に対しては民衆の教化を助けるべく、これを広げれば万民を救い

下である民衆は性情をおさめ、これを身につけば一身をよくす。」と。


思うにこの詩(張籍の思い)こそが彼そのものであり、

ただその詩がいい詩というだけでなく、

その志(張籍の志)もそこ・彼にあるのである。