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心穏やかに花見が出来ますよう。



「古神鏡の記」  安政3年2月8日。


ああ、これは肥後の藤崎八幡宮の神鏡である。この神社の司である誰かが、(肥後)藩士の宮部鼎蔵の贈ったものである。


私が渡海しようとした時、鼎蔵がこれを採り挙げて、はなむけとしてくれた。この鏡を仰ぎ見て考えるに、鏡の持つ徳(物を映しだす)は明らかである。そしていわんや神物でかつ古いものである。


鼎蔵が、はなむけとしてこの鏡を私に与えたのは、私に何かを教えようとしたのである事は、また明らかである。しかるに私は愚昧で事を誤まり、朋友である鼎蔵の好意に背いてしまった。鼎蔵の好意に背いたのが何であるか。


この鏡は、もとより錆びてざらざらしているので、映し見ることが出来ない。今、職人に頼み研磨してもらったので、光輝く事月の様である。箱を作り代々大切にしまい、粗雑には扱わない。

(鼎蔵の好意とは自分自身を見失うな、という事)


試みに鏡を取り、自らを映すと、面目は誠に憎むべきほど変である。

(鼎蔵の教えの通り鏡に映すと変な面目である)


しかし、私が行なった事は、武士として当然の事である。

(自分のした行動は、やむにやまれぬ渡海であった)


しかし今より、自分の行いについては、自分に教え諭そうとする者の思いに背かないようにしよう。


弓矢八幡様、私を見ていて下さい。


是を鏡の記とする。


(鏡の徳・自分自身を正しい眼で見なさいと言う教え)