今日も生命体情報の中に含まれるクオリア情報の意味について書きます。
それでは、
クオリアは生命体の進化の過程で、動物が獲得した機能の一つであるという認識で話が始まりました。
そして、クオリアも生命体情報の範疇に含まれる、自然現象の現れであると考えます。
前回、生命体システムはユニークで独立した孤立存在であると言いました。システムの全てが孤立・独立した物であるというところからスタートします。判断、活動全て自分で行ないます。そのため生体内情報は全てそのために働いています。コンピュータの内の情報ではなくではなく、本質的に自立している情報です。
クオリアもこの様な生命体情報から生まれてきたものであると考えます。
つまり、クオリアも自立、孤立した独立情報なのです。
さらに、このクオリアは存在したほうが、生命体の傾向に適うと考えられます。生きるため、子孫を残すのに都合がいいのです。
それでは、このクオリアの有無をどのように考えればいいのか。
それは簡単です、
クオリアが無ければ、自覚が無いという事になります。
この事を説明するために、次のように考えます。
まず、
生き抜こう、危険を回避しよう、お腹がすいたからご飯を食べよう、いい生活をしたいから頑張って出世しよう、異性が気になり仲良くしたいと思う・・・・
以上のような、動物・人間としての基本欲も、クオリアが無いとなれば、無意識的に実行されるでしょう。無神経と言っていいかも知れません。
さらに、この様なクオリアのない状況下で、悩みなど有るのでしょうか。
自意識が無くても悩みが起こるかどうか議論が分かれるところです。
すると、かの有名な哲学的ゾンビを登場させなければなりません。
自分では意識が無いのに、有ると主張するゾンビです。
ゾンビであれば意識が無くても「悩む」というでしょう。
でも、
自分に意識がないのに、自分に意識が感じられますというのは、何か変じゃないでしょうか。意識の特徴に「意識は自分で感じられます」というのが有りますよね。
よく言われる、自分だけのダイレクトアッタックです。
すると「意識が有ります」という言葉が本当であれば、意識が有るしか無いのです。
意識のない人が「私には意識が有ります」というのは、嘘以外ありえません。
「意識が有ります」と言う、意識の無いゾンビは想像不可能です。
でも多くの哲学者はゾンビの可能性を信じています。
「自覚できます、自分で自分の事がわかります。」
「そこにある、赤いリンゴが目に見えます。」
という、ゾンビを想像している。
同じく「歯が痛い」といっておきながら、痛いという事を感じない、ゾンビの可能性を信じているのです。
「意識が有ります」言わないけれど「歯が痛い」というゾンビはいるでしょうか。
私が思うに、いないのです。
これらは、ただ第三者が他人の意識存在を証明出来ないだけの事を言っているのであって、
「歯が痛い」とか「赤いリンゴが見える」とかは「私に意識が有るのを感じます」という事と同等であるので、嘘でない限り意識が有ると考えます。
上で述べたとおりです。
話をゾンビから戻して、
無意識下での外界とのコンタクトと意識が有るときの外界とのコンタクトの違いは、
自分が感じていると自意識が現れるという違いになります。
この違いは、情報の違いであるならば、
無意識下での感覚情報は、特に情報に具体的意味を作りあげる必要がないので、表象的ビット情報でいいのですが
意識を生じさせる情報であるならば、情報に具体的意味を付属させないといけません。
その情報が意味を作り上げるには、
前回述べたように、情報世界を脳内に作り上げ、外部世界と齟齬の無い状態にすれば、外界と対応した意味が現われてきます。
この時外界の物理世界と、脳内情報世界は対応関係はありますが、
表現された意味は外部世界とは全く無関係の表現です。
でも似ていてもかまいません。
いずれにしても、外界と脳内情報の現れは、異なっていると考えるのが正解でしょう。
それぞれは全く異なった次元の異なる世界ですから。
意識が自分で感じられる唯一のものであるし、自分が意識以外のもので外界とコンタクトできないのです。
このように情報に意味が付属するのですが、その意味には、必ず私がひっついて来ます。
なぜなら、生命体システムは、孤立した独立システムであるので、意味は「私が付随した意味」以外に生まれようが無いのです。
私に脳内に「赤」という情報があって、その意味が「赤」となれば、コンピュータに中の「赤」情報のような、他人事のような情報でなく、必ず自分が感じている「赤」にならざるを得ないのです。
だからクオリア・意識に自分が付いており、「私が赤いリンゴ」を見ますとなります。意識に自分が現われてくるのです。
すると自分に意識がなくて、自分に意識が感じられますというのは、おかしいですよね。自分に意識が感じられますと言っておきながら、意識がない人間など存在しません。
さらに「歯が痛い」情報には必ず「私」と、「意味」がペアになって存在しているのですから、ゾンビは否定されます。