福島原発事故、「頑張って東電!」

と言いたいのですが、

全作業員に被爆線量計を持たせていない、作業員の生活環境が悪い、水につかって作業をした、

などは、僕のような素人でもおかしいと思う。

現場は混乱しているにしても、対応が遅い、

これらの初歩的な間違い・誤り・不具合は前もって正しておかなければならない。

気が付けば出来るはず。素人集団じゃないのだから。


「技術立国」という言葉を泣かしてどうする。


今の状況が国難であるとの認識がないのだろうか、

金、人材、技術に糸目をかけず日本の総力で押さえ込まないといけないのだ。


「頑張れ、東電!!」




今日も、生命体情報について。

生命体情報に含まれる、クオリア情報について。


生命体はそれぞれ独立している、自然界に存在する個別システムと考えられます。ひとり立ちをしています。

そのシステムでは、全情報が生命体内で完結しています。

その意味するところは、システム内、管理情報、外部状況の判断、行動の決定、すべて自前で行ないます。他の助けを借りません。


これらは、何度も言いましたように、「目的は個の存続と、種の継続です。」



まず、

クオリアがない生命体にも情報が存在し、明確ではありませんが、情報に意味的なものが付属していました。前回のとおりです。


今日は

クオリアがどうして創成されるのかの話をします。


クオリアが生まれるという事は、情報に本質的な変化が起こっていると考えられます。

というのは、生命体活動をコントロールする、エネルギーの流れ・情報の流れ・自然現象が情報に具体的意味を生じさせるのですから。


そして、この意味というのは、第三者的観点からの意味ではなく、生命体本人だけが理解できる意味とならなければなりません。

つまり、この情報の意味は、「生命体が明るいと感じている意味だ」とかの意味ではなく、

この情報は、「私が明るく感じている」と言う意味であるべきという事です。


このように、相転移したと考えます。自然界・宇宙の4次元とは全く異なった新しい次元(私)が情報の相転移で出来上がると考えます。

そうです、不思議ですが、進化の圧力がこの奇跡を生み出したのです。


以下さらに具体的に説明します。

エネルギーの流れの中に意味が浮き上がってくるには、その意味が浮かんでくるベースが必要です。

そのベースには、神経活動現象であり、外部状況とのやり取りが出来るインターフェースが必要なのです。


まず、

外部からの信号を、生体内物理パターンに置き換え、その置き換えられた物理パターン(神経活動パターン)を使って外部世界を模式的に作り上げます。

つまり外部世界が生体内信号として、物理パターンにより表現されるのです。

この出来上がった模式的世界は外部世界を誤りなく表現できているかどうかを、行動を通し確認していきます。

そして、この外部世界を模した物理パターンは生体内の異なる場所に保管され、再度の使用が可能である事、つまり記憶・再現できることが必要です。

記憶されている物理パターンと、常時外界からの入力信号群とを絡み合わせ、どの筋肉活動を活動させるかを決め、納得のいく行動を行います。


この行動の結果外界に変化がおこり、その変化が自分が予想していた事と矛盾がない事を確認します。

つまり、自分の行動による外界の変化を入力し、予想と比較して納得できるかどうか検証するのです。

これから、情報から将来を予想する情報処理能力が必要であるとわかります。


この信号の流れに矛盾がないことがわかれば、生体内に保管されている外部世界を模した物理パターンと、常時入力される外界世界情報に、意味が生じてきても不思議ではありません。


なぜなら、自分勝手な外界の模倣に、矛盾のない活動という実体が密着しているのです。

例えば、得られる赤いという色信号とか、丸い球形の形、物体であるという認識、表面のつや感覚、ざらざら感、握ったときの感触・温度・硬さ、全てが外界存在を模倣しているにせよ、その模倣によって得られた情報によりこれがリンゴであることと現実りんごであったのと、齟齬が見つからないのですから、この模倣世界は信頼できる、唯一の情報に変わってきます。

赤情報は、私が見た赤、ああ私には赤が見えるという意味に替わります。



外部世界を勝手な方法で模倣した内部世界情報、

赤色などの要素パターンがたくさん集まり、世界を作り上げているその情報世界、

に全くの齟齬がない時、その要素パターンに意味が生まれてくるのです。



自然の物理パターンの流れの中で、奇跡的に意味が生まれてくる可能性は以上の方法しかないのではないでしょうか。


神経細胞の活動(要素パターン)の集まりの中に意味が生まれてきました。


このような物理パターン・要素パターンが組みあわされ筋肉活動を引き起こすのであるから、要素パターンの配置も特別な配置になっているはずです。

例えば、赤色と桃色は近い色です、なぜなら見分けが付かないときが有るからです。この様に見分けの付かない要素は物理パターンもよく似た、配置自体も物理的に近接した存在である事は想像出来ます。


数字に色などが必ずひっついて見える、共感覚の持ち主は数字を表現する要素パターンと色を表現する要素パターンが混線していると、想像しますし、少し品が落ちますが、性的マゾの人の感覚も、特別な状況時においては、痛みと快感が混線していると考えます。


このように考えますと、

コンピュータで要素を表現するのとは全く異なった方法によっているので、少なくとも、現在のコンピュータでクオリアをつくる事など出来るわけがないと思われます。


生体内情報の意味の詳細は次回に。