野火焼不尽、

春風吹又生。


上の対句は白楽天の有名な詩「賦得古原草送別」の中の一節です。

野火(のび)もえども尽きず、春風(しゅんぷう)吹けばまた生ず


災害がきても負けない、春風が来ればまた復興できる。

1日も早い、復興をお祈りしております。




今日は、

進化の中で、生命体がいかにして情報の意味を自分の物にしていったのかを考えてみます。

というのは、意識の存在意義を求める為に必要と考えられるからです。


生命体は、物理材料の集合体で全て物理現象の下で活動します、物理現象の顕れであると考えます。

かつて言われていたような生命素・霊魂を生命の基本に置くなど、野暮な事は言いません。

全てが物理現象の集まりとの認識からのスタートです。


それじゃ、生命の始まりはと言われると、

自分と同じ構造を再生できる構造体がたまたま、自然界に発生したと考えるもが妥当であると思われます。

私は不勉強ですから、生命の始まり論 をよく知りませんが。


例えばウイルスのような化合物・生命の原型自立できないが、他の細胞内で繁殖できるような構造体などどうでしょうか。


これらの構造体は栄養をとりこみ、つまり新陳代謝をしながら生存を計ります。

そして新らしい次世代の構造体を作ります。つまり子供ですね。


新しいコピー・子供が出来上がるときに、コピーミスが起こり構造体は変化していきます。子供の形質が変化してくるのです。

この変化の積み重ねが進化になるのですが、この変化には傾向が生まれてくるのです。この傾向が進化の圧力と言われるもので、環境に対し生存可能性が上昇するように傾きます。コピーミスが起これば、いいとこ取り(生存に都合のいいとこ)して残すのですから、進化します。

もし環境が変化すれば、その新しい環境に適応するような構造体になるように変化が重なっていくのです。

強者存続の基本がここにあります。


そうこうしていると、その進化の圧力が、その構造体自体に組み込まれてきます。

生命体自体が生存するような動作を取り込みます。

つまり、当初は、生命体自体環境に適したものが生き残るという関係から

生命体自体が環境を選びに行く、つまり好環境下へ移動できる生命体に変化する、

これは進化論を信用する人であれば当然納得できる事ではないでしょうか。


横から見ていて、この生命体は生きようと努力している、または生きようとする意志を持っているように感じます。当人(生命体)がどうゆう風に思おうとも思ってなくとも、傍から見ればそのように感じられます。


この構造体・生命体は自体として統制の取れた活動をしますので、それ相応のシステム構成を持っていないといけません。

つまり、システム構成になるように進化の圧力が加わっているのです。

ミジンコ、アメーバなどの生命体も、自己防御本能をもっており、危険から回避しようとする行動を行ないます。初期の生命体の例として考えます。


アメーバとかミドリムシのような原生動物と異なり、高等動物の活動は基本的には筋肉活動となりますので、危険回避行動ももっと高級な行動になってきます。筋肉は神経系によりコントロールされているからです。


種が保存している経験(本能)、個別の記憶を用いた行動が可能となり、より生存可能性が向上します。

すると、この進化が進めば、どこかの時点で、死ぬのはいやだ、生き抜くのだという意志が生命体の中に明確に存在するようになります。人間がそうですから。


最初は、自己構造体のコピーが出来るだけの存在物が、

外部からエネルギーを取り込み生存維持が出来る存在になり、

(生命体が発生当初から持たされていた進化の圧力で)

より環境に適した体が出来上がり

移動手段を持ち、好環境下へ移動できる体になり、

危険を回避し自己防御構造・本能が備わった体になり

環境を判断でき、記憶をも使った自己防衛機能、

最後に、私は生き延びるのだという、意識が出来るのです。


以上の背景には、入出力機関の存在が背景にあり、そこからの信号は情報となり、生命体に利用されていきます。目から、耳からなどの信号です。


初期の生物において、信号には意味が存在しません。

例えば、熱い環境は生命体に悪影響を与えるので、その場から逃避しようとする行動が始まるだけです。何も意味を持たない、単純反応です。将棋倒し的反応です。


この反応は単純でわかりやすく、そのための構造も単純明快ですが、残念な事に、複雑な込み入った情況に対応できません。そのようにしようとすると大変複雑な構造にせざるを得ません。つまりいっぱいの反応回路を持たないといけないからです。

言葉を変えると、ハード構成で行なうからです。

このような時に対応できるのが、汎用回路構成は利用しますが、内容はソフト対応させようとする考え方です。このようにすれば複雑な情況に対応できます。

これは、人類がコンピュータを発明したのと同じ要求なのです。


この場合の汎用ハードは神経回路で、ソフトは神経回路の接続、分離の組合せとなります。この接続、分離(つまりソフト)は生命体が生まれたときから持たされた構造、プラス経験によりきまります。

経験により、接続が変化するようです。


このような構造を持った生命体は、敵に襲われたとき、逃げるか、立ち向かうか、逃げるにしても、どちらに逃げるか等の高級な判断が出来るのです。

周囲から得られた情報の評価を出来るようになります。だから強く生きれます。


この評価をするのは、その生命体自体の情報を処理する神経回路自体がやるのですからたいしたものです。評価をするためには、そのための充分な下準備が必要です。何も適当にやっているのではありません。充分な判断材料が必要であることに間違いありません。

そこには、どうしても自己という概念がいります。

わたしが生き延びないといけないのですから

つまり自分の原型が生まれてくるのです。


このような評価をした結果得られた情報は、最終的には筋肉活動となって生命体に寄与します。

そうでなく、評価の結果が意識にとどまって活動に現れなければ、評価の意味がなくなり、その生命体は不利益を被るでしょうから。

何が言いたいかといえば、情報の意味は信号にあり、その信号は神経活動に負っており、

その意味でもクオリアを含む意識情報は全て神経活動・発火に帰せられると考えています。

つまり、意識は全て信号に存在すると言いたいのです。信号はあくまで、筋肉活動の原因である発火となります。


生命体自信の情報処理回路が、自分自身で扱っている信号の意味を理解して評価するというシステムが、現在の生命体システムです。

そういう意味で、この生命体システムが扱っている情報は、

人間が作ったコンピュータの情報表現とは全く異なっており、

従って哲学者が言っている、表象とも異なっているという事は理解されたでしょうか。

意味情報は表象という概念とは異なります。第三者的に観察しているのではないからです。


そして、進化のいずれかの時期において、信号が意味情報に変わり、その意味情報が意識になったと考えます。

このタイミングは、私が思うに、情報世界が、脳内に構築されたときであると考えます。以前に述べました、モザイクボール情報世界 が脳内に構築された時です。


この時が、

単なる条件反射的は生命反応が、

意味を理解した評価を基にした行動に進化したタイミングなのです。