本日の文稿は江戸の安政2年10月2日の大地震時の話に関係しており、

地震時の民之助の胡散臭い話を、松陰先生に伝えた手紙に対する跋である。

この文だけでは、甚だ内容が不明である故、

鳥山の手紙を一緒に読まないと理解できない。


「鳥山子の櫻任蔵・村上寛斎の事を紀するに跋す」

鳥山新三郎 櫻任蔵 と村上寛斎(出羽人、医師)の事を記する手紙に、後書きする

(手紙は安政2年11月27日付け鳥山より、安政の大地震のことが書かれてある。)


任蔵は義士である。(佐藤)民之助はなんと幸せな事か。任蔵と同じく水戸の老公に拝謁できたのだから。(任蔵は地震後残った家財を売り窮民を救おうとした)


寛斎は侠士(男気ある人物)である。民之助はなんと幸せな事か。寛斎と共に治療を施したと思われているから。(寛斎はけが人のため尽力を尽くした)

(民之助は村上寛斎本姓佐藤と同祖の縁あり、民之助は日本流などと唱え医をなす、山師。)


二人の民之助における関係は、例えば香りのいい草と、臭いの悪い草、つまりいい事とよくない事が共に居るようなものである。(二人が良く、民之助が良くない)


民之助は二人を得て、その臭いがますます顕れてくる。

すなわち、その幸となる所が、たまたまその不幸となっただけの事である。


鳥山子は、義を尊び侠を愛し、その言葉は湧いてくるように味がある。

(鳥山は民之助の事を憤慨している)


私は、鳥山と二人と、もとより交友があり、

ただ一人民之助を知らないだけである。


これは、これで又幸いというべきことであるか。