昨日は本を読みながらマスネのオペラ”タイス”を一日中聞いていた。

マスネはプッチーニとかワーグナーのような緊張感は無いけれど。

有名なタイスの瞑想曲。

オペラの後半に頻繁に出てきます。


この曲、

雨が降った、たそがれ時に、

一人夕飯のおかずを作り、ご飯を炊いたりして、

一人ご飯を食べ、

お皿洗うの、めんどいから、お鍋から直接おかず食べ、

そんな時この曲聞く。



この曲を聴いていたら、なんだか侘しくなって、人と恋しくなって、

僕の人生こんなんでいいのかなって、いつものメランコリック病が出て来ました。

どんよりした春はほんま、あかんな。


ちょっと違うけど、秋刀魚の歌の春版みたいに、

あはれ春風よ・・・・

という気持ちでした。




でわでわ、

昨日の、ピンポン問題の続き。


ピンポン問題とは脳内の情報処理に時間がかかるので、

ピンポンのような、速い応答を必要とされる行動・スポーツに、脳システムを含む体全体システムが追随できないのではないかという問題。

だのにちゃんと、ピンポンのような高速反応が求められる運動が出来るのはなぜかという事と、


リベット博士が報告した

意識して動作をしようと試みた時、その動作が実行される前1秒ほど以前に、脳内神経活動にその兆候が現れるということで、

つまりは、意識してやろうと思った以前に、脳内神経活動に実行しようとする兆候が顕れるのですから、

私が思った以前に、脳神経は活動を始めているのです。

人間の意志・意識しても行動・自由意志しても、それらの概念を根底から覆らせる様相を呈してきたのです。



一口で言って、

脳内情報処理に時間がかかるから実際の生活に問題が出てくるはずなのに、

現実にはさほどの問題もありません。

どうなっているのだろう、というのが問題なのです。


これに対し、哲学者、心理学者、脳科学者から多くの解釈が出てきているようです。

私は、勉強不足で、どの様な意見・仮説説が提案されているのか知りませんけど。



さて、物理学者は、現実主義ですから、現実に起こる現象をそのまま材料として採用し、他に諒解されている現象を加え、一番落ち着きがいい仮説を作り上げようとするでしょう。


わかっている事を羅列します。


神経細胞の反応速度はどのようなものでしょうか。教科書的な本によりますと、毎秒数mから百mほどのスピードで興奮が伝わるようです。

このスピードは電線内を電流が伝わる速度に比べると桁違いに遅いのです。

このように、市販のPCの処理速度に比べ格段に遅いのですが、ただ並列処理を脳はやっているので、まあまあのスピードで処理が出来上がっているというのには納得できます。

しかし、ピンポン等の運動、自動車運転での急ブレーキなどは間にあっていないと考えざるをえません。

脳の処理スピードは遅く、意識に関してはすごく時間がかかっていると考えられます。

高速対応には意識は向きません。


また無意識世界においての例、

ある問題を考えている時、いいアイデアが出てこなくて困る事はよくありますよね。

しかし、その問題から気をそらし、別のことを考えていても、急に問題の解決案が出て来るという話はよく聞きます。つまり無意識下で頭が解決策を探していたと解釈されています。フロイト的説明です。


次に

脳は自分の都合のいいように解釈をしてしまいます。

例えば、脳に直接電流刺激を患者さんに与えたとき、刺激場所で反応が異なることがわかっているそうです。その時の刺激は、当人にとって、因果関係は何も無いのですが、

ある刺激で、笑ったとします。

刺激を加えた方は、刺激が加えられたから笑ったと解釈するのですが、

笑った本人は先生がおかしいことを言ったから笑ったと勝手な解釈をするようです。


本人が理屈に合わない現象にたいして、脳は明らかに強烈な解釈・修正を実行するようです。基本的には矛盾を嫌うみたいです。


次に、

錯覚の話、いろいろな錯覚の具体例が心理学者などによって作られています。

例えばあるはずの無い三角形が見えたり、

見えないところに、顔が見えたり、

同じ大きさの丸なのに、背景によって大きさに差が感じられたり、

皆さんも経験があると思います。


これらの錯覚も、生き抜くため、環境把握を容易に達成するために脳が勝手に行なった情報処理の結果だと言われています。

都合のいいように外界を理解します。


次に、

全くの無意識では無いのですが、自動車を運転する場合、今日の晩御飯何にしようかなと考えながら運転する場合がありますよね。特に運転に注意を払っていなくても運転が上手に出来ます。

これなど、自分の身体が自動操縦装置のようになっており、ただ適当に脳がモニターするだけで、運転・目的が達せられています。

寝ぼけて夜中に部屋中を徘徊した事はありませんか。想像なのですが、夢のなかの出来事かどうか、無意識にトイレに行って用を足すなんてのは、ありそうな話です。

意識が無くても行動が出来るのです。


有名な盲視現象もその類でしょうか。ある特別な盲目の患者さんが、見えない物なのに、あたかも見えるように行動が出来る現象です。

見えないから意識がそれに対して起こりません。でもあたかも見えるかの如く振る舞えるという物です。


これに極めつけはリベット博士の実験。

意識による筋肉活動が、実はその意識が起こる以前に既に脳内にその兆候が見られる。本人の意思と無関係と思われる現象が見られる。


さらに、意識を含めた脳現象は脳の物理活動が生み出すとします。


これらの現象を、全て事実として受け入れたとき、

脳神経システムはどうなっているのかを考え、

全ての面で辻褄が合うのかを考えて、

仮説を出すのです。