意識問題は、やはりクオリア問題、ハードプロブレムが本筋、

世界中のプロ集団がしのぎを削り、クオリアの解明競争をしている。


彼らは予算、時間、人材、組織を組み、ステップバイステップで進んでいるはずです。

理研のグループ然りです。


そこで、僕みたいな、アマチュアは何が出来るのか、

お金もない、実験道具も無い、実験材料もない、時間も充分でない、脳知識も充分じゃない、経験も無い、


そんな中でただ気迫と熱意だけがある。

研究成果など期待しない、論文を書くプレッシャーもない。自由な環境だけはある。


そこで、地道な基礎勉強、

専門家が見つけた、脳科学の知識を獲得する。


そして、脳内の情報を想像する、

それらにより、クオリアの発生メカニズムを追究する、

でもそんな簡単ではないよ、という声がきこえる。


できなくていいのです、趣味の領域だから、

デッドラインもありません。


さて、

クオリアは脳内情報のひとり立ちしたものであると、何度か述べました。

脳内情報は、コンピュータ情報とは異なり、単独情報では情報の意味をもてないのです。

全ての情報がお互いに依存しあって、環境・外部状況との関連で意味が発生します。


“痛い”だけでは意味になりません、

視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚、体内情報、記憶情報、すべてが“痛い”というクオリアを発生するのに使われています。

勿論詳しい事は不明ですが、ヒトが持てる情報全てを使っているはずです。


生命体情報は、コンピュータの情報のように切り取って扱えるとか、別番地に移動させるなどの工学的処置が出来ないのです。


すると生命体(脳)情報の物理構成パターンは何であるのか?

どのような物理現象が、情報になるのか、

どのような物理現象が、クオリア情報になるのか?


脳内神経活動、ニューロンとかシナプス結合による活動パターンは当然最有力です。しかし、この神経活動パターンだけではクオリア発生の情報にならないと言う人がいます。

クオリアの発生には寄与しえないと言うのです。


全く異なる次元の現象であるとの理解からです。

物理現象と意識現象が起こっている世界が異なる、次元が異なるとの理解からです。

ハメロフもその一人でしょうか。



そこで、ハメロフは量子現象を意識に持ち込もうとしたのです。

前回のブログで紹介しました

「意識の認知科学」苧阪直行編にふくまれている

「微小管での量子計算」スチュアート・ハメロフ 1997年

がその論文です。

ハメロフは有名なロジャー・ペンローズ博士と組んでこの説を流布させています。


微小管は細胞内において細胞の形を保つ役目とか、軸策内の物質輸送のレールの役目をしているようです。


さて、量子現象は、

シュレーディンガーの猫の話のように、人間の意識が量子状態を決めるとか

多世界世界というように無数の多くの世界が実在するとか

量子コンピュータのように、計算結果が量子状態の収縮・崩壊で決まるとか

の不可解な説がいきわたっています。

ご存知のように、量子現象は不可解な面が多いのですが、計算結果は高い精度で現実を説明してくれます。


このような量子現象を使ったクオリア説明。

最近では、このハメロフ説は不評であまり評価されていないようです。拙速以上に、内容に信頼性が欠けるのです。

科学者の着想は、特許と同じで早い者勝ちです。

だから多少問題があったとしても、ごまかしてしまうというのは語弊があるかもしれませんが、不十分な論文でも審査さえ通ってしまえばいいのですから、とんでも科学的な論文も見受けられるとのことです。


私もこの論文を読んでみて、確かに書いてある事は眉唾ものだと思いました。


今回はこの論文の主張がどうのこうのと言うのは控えめにし、ハメロフがなぜ量子現象に着目したのかのスタートラインでの考え方を紹介します。


始めに、

意識は神経発火における計算論的な複雑性から生まれると信じている、見るからに頭のよさそうな科学者や哲学者もいる

と神経主義者に、多少の皮肉が混ざったコメントを与えます。

つまり、

“神経主義者”の信念というのは、意識体験のハードプロブレムやその他の困難な問題を避け、神経生物学の知見を誤って伝えている。」という主張なのです。


それじゃ、何がいいのかというと、著者は、神様のご託宣の如く

汎経験主義者の特徴を神経主義に加えるならば、最もうまく意識経験の理論が作られる

と言います。この根拠が示されていません。また論文の結論がこの表現に答えていればいいのですが、そうではありません。


汎神主義とは

意識経験(つまり生の分化していない原型的意識)は宇宙に本来備わっている構成要素である。」とし、

そこから、

脳の過程は、何らかの方法によって宇宙に存在する生の原型的経験にアクセスするのかもしれない

と、「かもしれない」と控えめな提案をされています。

宇宙に存在する生の原型的経験とは、量子力学とはまったく関係のないオカルト的なにおいがしますね。


が、しかし

現代物理学と整合性のある汎経験主義的な立場では、(ペンローズが提唱する)プランクスケールの量子スピンネットワークは原形意識的な“心的基底”経験を(プラトン世界の価値観と同様に)符号化しているかもしれないと考える

と論を進め

最終的には、細胞骨格でもある微小管の量子コーヒーレンス状態の崩壊が意識経験を生み出すと言い

クオリアあるいは経験は、基本的な時空幾何学の中に存在する。」と結論付けます。


つまり、時空の説明のための、プランクスケールの量子スピンネットワークを意識経験の説明に「かもしれない」から始まり、最終的に断定「存在する」と結論図ける、方法は独眼的としかいいようがありません。


このような論文だから評価されないのかもしれません。


確かに、クオリア探求など、暗中模索状態のプリミティブな状態では、いろいろな考え方があって、いろいろな検討が必要です。

この量子理論を使った意識論もその一つとして、試行の一つとして意味があると思います。


生命体情報は何も神経活動だけじゃありません。生命体は使える物理現象を全て使います。DNAしかり、光合成しかり、電子・分子レベルの現象を生命体は利用します。

したがって、生命体は生命活動に量子現象も使っておかしいはずは無いのですから、意識の情報源に量子現象を使うのは排除すべきではありません。


しかし、だからといって、今回のように“量子状態の崩壊が意識の現われ”という論理の跳躍があってはいけないと思います。

“意識が量子状態の崩壊とどのように関係しているか”の説明が無いのですから。

量子状態の崩壊とは、常識的に言えば、量子の存在位置が未定状態から(観測して)確定状態になった時のイメージがあります。

このような状態の変化が意識を生み出す理屈になれるのでしょうか。理解できません。


そうでなく意識には、意識情報としての表現法である、物理パターンが必要なのです。

“情報世界が意識を生み出せる”と考えるのがまっとうなんでんです。


私は、情報世界は物理世界とは違いますから、情報世界が意識世界になり得る可能性は高いと思います。


この情報世界は、コンピュータが作り上げる情報世界とは完全に異なります。コンピュータ情報は、情報を集積するのに人工的に組み上げるので、システム全体に情報レベルでの統一性がありません。

情報が情報を生み出すような生命体システムでなく、情報は初めから決められています。


一方、生命体情報は、情報世界を作り上げてシステムを動作させます。この世界は全く物理世界とは関係ありません。異次元世界です。だから情報世界が生命体内に出来上がれば、その情報が独り歩きできます。


このように、生命体が使える全ての物理現象の組合せで、情報パターンを想定し、そこから生まれ出る情報を見極め、その情報が自己を密着させた情報であるならば、それが意識になるという、筋道で、仮説を組み立てるべきです。