表象と言う概念に統一性はあるのか。

僕が今まで読んできた、心の哲学関係の資料・論文での定義は統一されていないように感じます。


以前のブログにおいては次の定義を使っていました。

「一般的な定義では何かの代理として記号表現が機能すること。記号表現が何かを代行すること。」


この定義は、あまりにも荒っぽすぎて、人によりこれは表象しているとか、していないとかの議論がなされます。つまり同じことでも主義・人により表象に対し理解・定義がことなるという事です。


そもそも何故表象という概念が心の哲学に必要になってきたのでしょうか。それは、もともとの意味である上記の定義からはなれ、「一般には、知覚したイメージを記憶に保ち、再び心のうちに表れた作用」をいうらしいのです。記憶が思い出されイメージとして再現されたものを表象と言うようです。


そして、特に認知を説明するのにこの表象の概念が欠かせなかったのですが、最近ではそうではないとのことです。


そこで、今日はこの最近そうでなくなった主張について少し紹介と批判を試みます。この中で表象の意味を追求していきます。

話は長くなりますから、数回に分けて続ける予定です。



論文「表象なき認知」 中村雅之で、この論文は

「心の哲学Ⅱ ロボット篇」勁草書房 2004年

に含まれています。


中村先生は九州工業大学の助教授です。


その最近そうでなくなった主張とは「力学系アプローチ」の方法で認知を説明しようとするグループの考え方です。

具体的には、時間を含めたダイナミックな変数を扱う、例えば微分方程式で表現されるシステムのような「力学系理論の数学的道具を認知系に適用し、認知を解明しようとする試み」だそうです。


古典的な表象概念は言語処理や問題解決のようないわゆる高次の認知場面において威力を発揮するが、逆に、日常のありふれた、しかし柔軟性を要求される行為を取り扱うには、弱点をもっていた」、

この弱点をうまく扱えるのがニューロコンピュータ的考え方(コネクショニスト)で、彼らは新しい形の表象を提唱するのであるが、

さらに力学系理論では、表象その物を、認知の説明の中に必要としないのです。


力学系理論の力学的な理屈、本当にダイナミックな現象を数式で説明できるのか。

表象をどのように捉えているのか

の2点に絞って先生の説明を聞いてみましょう。



それじゃ始めとして、なんで表象概念での説明に難点が含まれるのか。従来の何が悪かったのかの説明から。


その答えが

人間の知性が持つ可塑性・柔軟性を説明するのが困難

いわゆる高次認知と感覚運動的次元とを統一された枠組みに収められない

脳と認知について統一された話ができない

と言う3点なのです。


これだけの説明では、基礎のない・共通基盤のない我々にとって、どういう難点が具体的にあるのか見えてきません。


そこで筆者は、

認知が記号表象に基づいて行なわれるとした場合、認知主体は、知覚による入力情報を、記号的な形に変換するために情報量を落とす必要がある。そうしないと記号系は、膨大な生の知覚情報に圧倒されてしまう。しかし、この情報量の低減が、一種の「隘路」となって、認知主体の環境に対する柔軟で、そのつど更新される対応を妨げることになる

という事を言って、難点の一つ目としています。


この具体的な説明を、さらに私なりに説明しますと。

“リンゴとかの知覚として入力されたリンゴ信号は記号的な神経系の形に変換される。

この変換時に(不要)情報が認知主体により、落とされる・棄てられる。

なぜなら、

知覚情報は生の情報が膨大すぎ、処理できないのでから。

しかし

通常の生活の事を考えると、そのつどの変更がしょっちゅうあるので対応が妨げられる、本当に棄てているのだろうか“

と言うのです。


これが本論文の前提になるのですが、この前提はあまりにも独善的過ぎます。正しくない前提だと私は言いたいのです。

このような前提で論を進めていく事は、全く無意味な不毛の作業をすることになります。いわゆるもったいない事をしているのではないでしょうか。


では何処がおかしいのか、

まず認知主体とは何なのか、無造作に主体と言う言葉を使っているのはどうしてか。主体は本当に認知できるのか、

次に

リンゴ信号は記号系(神経活動パターン)に変換されるのは最近の研究で正しいようですが、不要と思われる冗長性のある情報・信号が棄てられる根拠がありません。もちろん最終的には忘れ去られるとかで不要と思われる情報は棄てられるのでしょう。しかし生活を維持するに必要な情報は棄てられないようになっているはずです。

従って、膨大な生の情報に圧倒などされるはずなく、脳は処理していますし、無意識的にはサバン症候群の人のように、思う以上の情報が脳に蓄えられています。

だから、

日常生活でそのつど更新される対応を妨げる事などないのです。


従って、一つ目の難点に対する、結論を言います、と表象概念で問題なのは、無造作に使われている認知主体の問題があるのです。主体の説明が欲しいのです。

これが最大の難点であって、その他のものは何の心配もありません。


二つ目の難点の説明は省きますが


三つ目の難点について、著者は

脳との関係を見ると、脳の活動は、数多くのニューロンがネットワークを形成し、活性化することによって成り立っており、そこに「表象」に相当する物理的な実体を見分けるのは困難である

と言います。


これでは全く物理的現象の追究ができません。なぜなら、最初からあきらめて困難であると宣言しているのですから。確実なマイナス思考です。

新入社員教育時によく言われる話に「「私には出来ません」など決して言うな」と。初めから出来ないと言うのは、決して出来ないのです。


その証拠に、脳科学者は神経活動パターンにあるルールを見つけ出しています。


以上のように問題の前提だけでも、問題があります。


長くなりますので、以降は後日説明します。