脳と心の関係を追及する心脳問題はスーパーウルトラ級の難問だと言われます。

哲学、心理学、生物学、生理学、医学、工学、科学と多くの領域の人々を巻き込んでいます。


そして最近の常識では、

ほとんどの専門家においては、脳の物理活動が心を創っているという理解が主流となっています。

理解は理解でいいのですが、

脳の物理活動からどの様にして心が出来上がるのかの、具体的メカニズム(もしあるとして)が、不明なのです。


一方、普通の人は、脳の物理活動から心が出来上がると思っている人もおれば、

僕の兄貴のように“そんなあほなことあるかい”と完全否定する人もいるようです。


これは、それでいいのですが、僕みたいな、完全物理主義の考えを持っていると、

ある人などは、悪気はないんだろうけれど僕のことを“心の冷たい人”のように言った事がありました。



僕が思ってる事は、

悲しみ、痛み、愛情・・・・など、すべて脳の活動に起因するものであり、人はその感覚を受けるだけ、その人がそのように思っているのではない。

例えば“悲しみ”、

これは私が悲しいから悲しみが起こっているのではなく、脳に外部状況・周囲状況の情報がインプットされた結果、これは悲しいんだと脳が判断し、その結果悲しさが沸き起こってくると同時に涙も出ると言う考えです。

あくまでも、“ヴァーチャルな感覚を受けている・与えられている”と言ってもいいのです。けれど、脳のヴァーチャルは人にとって現実なのです。


だから、心に感じている事には、必ずその裏があり、その指示が自分に届いてくるのだという感覚が成り立つのです。いつもではないですけどんね。



また、人が死ぬという事は、脳機能が破壊される事であるから、機械が壊れる事と同じですが、再生は効かないという事において、機械とは異なると考えます。。


休眠においても、

機械のように静的な休眠(スリープモード)は出来ないのです、あくまでも動的な休眠(眠り)しか出来ません。


先ほどいいましたように、

死ねば、脳内の情報全てが壊れてしまい、現在では再生不能です。しかし、聞いたところによりますと、癌等の病気で現在の医学レベルでは回復できない病気の人で、余命のない人が、全身冷凍保存技術を使い保存されているとか。後年再生させると。

この技術は確かに有効かもしれません、体はともかく、脳内の活動が元に戻るか、きっと戻るのでしょう。戻れば万々歳です。詳しい事は、知りませんが。

これなどは、強制的なスリープモードですよね。


反対に、

体が無くなっても、脳内の全情報がどこかに残されれば(入出力も含め)永遠の命が手に入ったのと同じことになります。情報が命、心、全てですからね。

ただ、入出力情報として、愛をささやくとかのあたかも生きているような情報を脳に与えてやらなければなりませんが。

人は死ななくてもよくなる時が将来やってきます。


以上のようなゴタクをこねていると、“変わったやつ”とのお墨付きをいただく事があります。


まあ僕も含め、お互い言うのはかってですが、皆はどう考えているのでしょうか。別に上のように考えているから、冷たい心の持ち主であるとの自覚はありません。

実は、僕は極めて心優しい人間なのですから。



このような事を考えていると、

脳の2階構造説を唱えたらどうかと考えた次第です。脳は基本(1階)において、脳神経活動関係の物理現象が完全に支配しており、その上の層(2階の層)が意識・心の層になっているというイメージで、通常我々は2階の意識層・心の層を現実と思って生活をしている。つまり、本当は1階が支配しているのですが、2階が支配していると思って生活している。

だから、自分の都合のいいように1階、2階を選んで気持ちを落ち着ければいい。

普通は2階で生活をしており、都合が悪くなれば1階に下りるのです。


例えば、親とか上司に叱られるとします。

このように都合が悪くなれば、1階を選び、1階の脳神経活動が私であるとします。だから怒られていても、気持ちは“ああ怒られているのだな、だから気持ちが萎縮している。そりゃそうだよ、怒られているのだから。この萎縮の気持ちはバーチャルなんだ。真剣に考える必要なく、適当にすごして、やらかしてしまえばいいんだ”と、他人事のように考えればいいのです。

ちょうどTVのドラマを見ているとき、叱られている役者の気持ちになりますが、実は覚めた目で、これはお話なんだと思えますよね。

このように考えれば、気の遠くなるほどの困った事、自殺を考えるほど切羽詰った事も、やり過ごす事が出来ます。(僕はそう感じますが)


死に関しても、1階におれば、

死ぬ事は嫌な事ですが、自分の感じている事、考えている事、全てが情報であると割り切ってしまえば、高い見地で達観した眼が養えます。人の死を見ても、自分の死を考えても、おどおどする事はありません。神経活動で脳が悲しんでいる、怖がっている、と考えるのです。

脳の活動を横から見ることにより達観できると、一人よがりに思っているのです。(このように思っているのは僕だけかも知れませんが)



そして学術領域においては、

2階の心、意識を研究するのが、哲学者・心理学者・宗教家で

1階の神経活動を研究するのが脳科学者・人工脳設計家である、とは思いませんか。

2階の人にとっては、1階はブラックボックスで、

1階の人にとっては、2階の事はややこしくて手を出さない。

という事なのですから、ちゃんと棲み分けが出来ます。


このような、“ためぐち”を叩くと、なんかバチが当たりそうですね。