定義って不思議ですよね。

「あるものを、ある言葉で説明すること」でしょうし、

「知らない事を、知っている言葉で説明すること」でもあるのですから、

単純に考えれば、段々と層が上がっていくような感じでしょうか。

わかり易い概念から、段々と難しい概念に到る。

すると最初に使う定義の言葉はどうなっているのでしょうか。不思議ですよね。


人間が言葉を習得する

赤ちゃんは、未経験ですべて始めて

当然、言葉が理解できません、

何もわからないところからどうやって言葉を話せるのだろう。


生命って不思議ですよね

ただの物体存在である物質が生命を獲得する

さらに、子孫を残す

そして、生きようと・子孫を残そうという意志が生まれます

私自身がその意志を感じるのですから、間違いありません。

ただの物体存在の世界に意志が生まれてくるのです、


物体って不思議ですよね

存在する理由がなく存在している

物体と宇宙が同概念だから

ビッグバンで生まれてきた宇宙の存在が物体存在と同じ問題を抱えています。

どうしてビッグバンが起こったのでしょうね。


数学って不思議ですよね、

宇宙の法則を数学表現出来るのですから。

一つのリンゴを1個と数える事が出来るから、

宇宙法則を数学で表現出来る。

ビッグバン後の宇宙を説明できる

ブラックホールも説明できる

自然界に存在しない無限も説明できる


すると以上の不思議さも数学で説明できるか?




数学の公理主義、現代数学の根本思想・根本教義。

20世紀初頭に大流行し、いまだ多くの領域において思想的影響を与え続けている公理思想。

公理主義とは、ある世界が公理系から成り立つという考え方で

例えばユークリッド幾何学はユークリッドが体系だて後学により修正された公理系で作り上げられた幾何学世界で、その世界内では矛盾がありません。

公理系とは公理を集めた基礎概念。この公理系から、一つずつ証明をもとに概念層を上にあげ、世界体系を作り上げます。この世界は無矛盾であるから、世界の資格があるのです。


卑近な例で正鵠を射ていないかもしれませんが、日本社会の中の日本憲法のような概念。本当その中には真・善・美などの基本価値をも含めるといいのでしょうが。憲法には矛盾がありそうです。


矛盾と言えば

不完全性定理を発見した有名な数学者ゲーデルがアメリカ合衆国の市民権を獲得するに当たり、宣誓を合衆国憲法の下しないといけないのに、憲法に矛盾があるとしいやがったのを、友達にたしなめられたそうです。



公理系と、それから組み立てられる世界は全く同じ枠組みをしているのですが、組み立てられる世界は一つではありません。

同じ公理系であっても別の世界が考えられます。有名なヒルベルトの「“机”も“ビールジョッキ”」でもいいのです。使う言葉が異なれば、おのずから出来上がる世界も変わります。そして出来上がったその世界が、意味のある世界であればいいのです、人間にとって。その意味は人間が作り上げるし、享受するのですから。


以前にも何度も書きましたように、

意味とは人間だけが理解できるものではないように感じます。

(正しいかどうか検討の必要があります)

すると、同じ公理系から別の世界が出来上がってきてもおかしくはありません。人間という枠をはずす事が出来ます。例えば、宇宙、地球、自然、生物、動物という枠組みも考えられます。

人間だけの枠をはずした場合、価値観・世界観も代わります。


さらに、

公理主義の公理系はどの様な公理系でもいいようです。

例えば数学の領域で幾何学においても、集合論においても、公理系が異なる場合の理論があります。

現世界と全く無関係な公理系、人間と全く異なった世界の公理系。

動物、自然をも含めた、公理系。

多くの独立した矛盾のない世界が現われてきます。


公理系自体及び公理系に使われる概念は色々と変えられます。多種多様な世界が考えられます。



次に

意味のある世界を公理系から見つける簡単な方法はあるのでしょうか。ある公理系が与えられたときその公理系から意味のある世界を見つける事が出来るか。

今では、インスピレーションをもとに、適当な概念を公理系におし込み、一つ一つ世界を組み上げ、その結果“よし、OKだ!”としてパチパチと手を打っているのです。絶望的な組合せです。結構大変です。



さて、話を始めに戻して、一番初めに書きました、


定義とは不思議なもの、

言葉とは不思議なもの

生命とは不思議なもの

宇宙存在とは不思議なもの


それぞれ独立した世界があります、これら世界には公理系のようなものが存在しないでしょうか。

何を考えているかと言えば、何か共通な柱のようなものが見出せないかと考えているのです。



先に述べた事の逆を考えます。

ある世界から公理系を見つけるのです。

この公理系は先ほどの厳密な公理主義の公理系とは異なり、それとよく似た概念と思ってください。多少の矛盾は眼をつむらないといけないかもしれません。


その公理系が

例えば言葉世界であればどのような公理系が考えられるでしょうか。

生命世界ではどうでしょう。どういう公理系が考えられるでしょうか。

これらの公理系を求める事は新しい世界・新しい哲学を求めるのと同じです。




また、

公理系に意味がある、(存在している)と言う事は、公理系のなかで公理どうし・お互い意味を作り挙げているのです。


ユークリッドの公理系も同じで、

公理単独では意味を持ちません、点と点に線を引く事が出来るだけでは世界はできません、系として始めて成り立つのですから。

お互いに意味を支えあっているのです。



同じく、言葉にしろ、生命にしろ、宇宙にしろ、意味があります。これらの意味は、言葉にしろ、生命にしろ、宇宙にしろ、お互いに支えあって完成されています。ささえあって初めて成り立っているのです。


そして、これらが現実に存在しているという事は何らかのきっかけで開始・開闢があったのでしょう。

神様がインスピレーションで公理系に適当な概念をあてがった結果出来上がった世界ではないでしょうから。公理系自身では公理系を作れないのです。


すると例えば、

ビッグバンのような物理で説明できないものとか、全くの偶然による世界の組み立てとかを考えないといけません。


宇宙に対してビッグバン、

生命体には偶然によるスタート、

言葉獲得には、赤ちゃんが持っている遺伝子の恩恵、

のようなものがあります。



さてさて、

以上のように現世界を、数学的公理主義で解釈しようとする事は、

前世紀の遺物をこね回しているのか、

考えている事が全く異常なのか、ある程度正解なのか、わかりませんが、

検討の対象にはなると思います。