意識にとって何が一番大事か。
それは表象概念である。
ということで、表象について考察します。
まず、表象とはどういう事かの定義から
「一般的な定義では何かの代理として記号表現が機能すること。記号表現が何かを代行すること。」
とネットの“はてなキーワード”にありました。
http://d.hatena.ne.jp/keyword/%C9%BD%BE%DD
この文章を、システム論的に翻訳すれば、
“情報のパターン”が上記の“記号表現”で、“何か”が“情報の意味”であると考えていいでしょう。
つまり、情報の物理パターンが表象という事です。哲学的な厳密性に欠けたところがあるかもしれません。
よく知られたように、情報の物理パターンは意味を持っています。つまり、情報には意味があるということです。
そして、その意味は同じ情報パターンでも受け取る側が異なれば意味も異なってくるという事です。
それらを考慮に入れて進めて行きます。
それではもとに戻り、表象について。
例えば、
“桜”という文字は、“現実の物理的なサクラ”を表現している場合、サクラの表象になります。
これは、人間がこの表象機能を理解できる場合の例です。
次の例、
コンピュータの内部に記憶されたサクラの写真の例
コンピュータの内部にはトランジスタのオン、オフで表せるビットの並び方でサクラの写真だ表現されます。このビットの並び方がわかり、記憶が読み出せるならば、コンピュータ内のビットの並び方はサクラ(の写真)を表象していることになります。
これは、コンピュータがこの表象機能を持っているのですが、その上位層には人間がおりこの表象機能を理解するのです。
次の例、サクラから“熱い”という概念の表象について、
上記2例について同じ表現で“熱い”表象が可能です。
文字は“熱い”でいいでしょうし
コンピュータ内では、熱い場合には“熱いビット”を立てると宣言すればいいのです。つまりコンピュータ内の約束を決めます。
さらなる“熱い”例として
ミジンコなどの動物における場合、
よく知りませんのでラフな説明になるのは止むを得ませんが、ミジンコは熱い場所を嫌い、自分にとって過ごし易い場所に移動します。このミジンコの生命活動には物理現象が密接にからんでおり、熱い場所と熱くない場所を感知できるシステムが活動した結果の行動と考えら、すると体内の神経系パターンが熱いという概念を表象していると考えられます。
この場合の表象は人間に取って何も関係ありません。この場合の表象はミジンコに取っての表象であって、人間に対しての表象ではありません。当たり前です。
でも人間は観察の結果、熱い時に発生する神経系パターンをもって、“熱い”表象であるという事は出来ます。
この側面を見れば、コンピュータの表象と同じように見えます。
さらなる、さらなる例で、人の場合
熱いお湯に手を突っ込んだ場合の例、
ミジンコと同じく、熱い場合に神経系パターンの独特なパターンが発生するはずです、これが“熱い”を表象している(表現記号)と考えられます。この場合の表象機能は自身の表象であって、他人には関係のない表象なのはミジンコの例と同じです。
でも第三者人間は観察の結果、熱い時に発生する神経系パターンをもって、“熱い”表象であると言う事は出来ます。ミジンコの場合と同じです。
上記4例の場合の違いは、
前2例が人間の眼から見た場合の表象でありますが、
後2例は生命体自身が主体であって、第3者的立場(人間)で見る表象は意味の異なる主体である事は言うまでもありません。
これらを、物理構成の立場から見直しますと、
上記4例の前者2例と、後者2例では明らかな差があります。
前2例は、人間が自分の都合で、作り上げた物ですが、
後2例は、自然現象が進化の圧力のもと作りあげた物であります。
これらの例より、生命体活動により発生する情報パターン(表象)が、どうであるべきかを考察したいのです。
後2例(ミジンコと人の場合)は、自然の中で、創られるべくして出来あがったのですから、外部自然環境と十分マッチングできています。ちょうどギブソンのアフォーダンス理論のように外部環境に大きく依存します。
従って“熱い”という表象は、現実の熱いという外部環境からの感覚入力だけに対応でき、その入力に対応した出力(筋肉活動)がその生命体自体に意味が発生できる状況においてのみ意味が現れる神経パターンとなります。
この表象は外部環境と内部神経、筋肉構成との整合のうえ、生命活動可能状況のもと完成しています。人間が設計したシステムではないので、結果論的に確定されているのです。
しかし、誰かが意図をもって決めたのではないので、そこに意味がないと言う解釈も出来ます。つまり、自然が物理的エネルギーの流れのもと完成したシステム(生命体)であるから、表象機能がないとも言えるのです。
ただ、“熱い”という外部環境にたいして反応して決まる固定パターンが表象であると決められますが、通常は固定パターンじゃなく、かつパターンも全体に分布しているため一義的に(1対1に)決められません。ただよく似たパターンが生じます。
それらの詳細に眼をつぶったとして、
外部環境と内部神経・筋肉構成が決まれば、決まる表象となります。
従って、人間が設計していないこれら生命体の表象機能でも物理的な解析が可能となるはずです。いや、なります。
しかし、ここに意識(クオリア)が加わった場合は、異なってきます。
この場合のクオリアの加わった表象は次元が違うからです。次元が違うという意味は、表象について違った見方が必要だという事です。