最近、会社にコーヒーを手持ちしています。

ステンレス水筒に暖かいコーヒーをつくってね。


すこしめんどいけど

自分好みのコーヒーが飲めるんです。


でも、買った水筒がすこし小さくて、

500~600cc位しか、はいんっない。


つまり、午前中でなくなってしまうんです。

1リットルのがよかったなと思うけど

こればっか仕方のないこと。

諦めています。




今日の話。

前からすこし気になってたことがあります、

アインシュタインの相対性理論の話。

最近では中学生、いや小学生でも相対性理論の話ができますよね。


特殊相対性理論はアインシュタインが、

光速度が不変である事をもとに、時間・空間を見直した理論で

高速で移動している者同士では、

時間が遅くなったり、空間が縮まったりするという話です。


光速度が変化しないのは、マイケルソン・モーリーの実験で確かめられています。

しかし、どうして光の速さは変わらないんだろうか。


私が、はじめてこの話を本で読んだとき

まず、時間・空間が変わるという事で、

多少、頭がこんがらがってしまったのを覚えています。


なにせ、ニュートンの古典力学、ガリレイの相対論とは違うことだけは理解出来ました。

そしてそのとき光の速さが、測定者の状態がどのようであれ一定であるということも、知ったのです。


現象が、不思議であったので、光の速さが一定であるという不思議さにまで、

気が回りませんでした。

相対性理論の重力理論も含めた理論では、ブラックホールもあり不思議でした。


でも、光の速さが一定なのは“そんなもんだよね”と思っていたのです。この不思議さにあまり気が付かなかったのです。

今の市販の解説書で、この光の速さの不思議さを記述している本に、出会えません。私の調べ方が不十分かも知れませんが。



そして次は、量子論の入門書を読み、量子理論の不思議さに圧倒されました。

多分、多くの人達がそうであったと思います。


シュレーディンガーの猫とか、

“神はさいころ遊びをしない”とか

波動関数の収縮とか

不確定性理論とか

量子の絡み合いとか


不思議がいっぱいで、いわゆる“解釈問題”の様相です。



しかし、鈍感な私でも、どうして光速度が不変なのだろうかという不思議さに、最近気が付きました。何かこの宇宙にからくりがありそうだと思います。

当然、そのからくりが何であるか知りません。

多分、人類の誰もわかっていないのではないでしょうね。


でもこの事実は、光・電磁波と空間が強い結びつきがあるということを如実に表しているのではないでしょうか。当然速さも時間とも絡んでいます。


光が進行する、移動するという事実は、物体が空間を移動するという事とは、全く異なる現象であると、考えられます。

人類が未だに経験していない物理現象の現われが見て取られます。

光は空間を移動していると考えてはいけないのかも知れません。


そしてなんだか、宇宙は光が中心的、基本的実在であるような気がします。

しかし、事実はそんなものではないでしょうが。


量子の絡み合いについても、情報の伝達が光の速さより早いとか

波動関数の収縮も光の速さより早いとか

いわれています。

これらも、光の速さの不変性とどこかで関係しているように思います。


私は、これらのことが事実かどうか確認する手立てはありません

ただ、本の情報が全てです、

そしてこのあたりは、素人の出る幕ではないかもしれませんね。

サスペンスドラマの素人探偵が犯人探しをしているようで、あくまでも趣味の領域でしょうか。


でも、私は面白い話を一つ持っています。

それはガモフ全集・不思議の国のトムキンスなどの一般向け科学解説書を書いた、ロシアの科学者ガモフの逸話です。

ガモフはビッグバン宇宙仮説を提唱したことで有名な科学者で、もう少し長生きをしておれば、ノーベル賞をもらえたと、もっぱらの評判の人でした。

事実、ベル研究所のベンジアスとウイルソンがビッグバン仮説の正しさを証明する観測であるとして、宇宙マイクロ波背景放射の観測でノーベル賞をもらっているのだから。


そこで彼の、面白い話

ガモフの諧謔精神は、成人になってもなお衰えなかった。1948年アルファという名前の大学院生を指導して、アルファ・ガモフ著の論文「元素ノ起源ニ就イテ」を書き上げた。しかし口調をよくするために友人べーテの名前を借用し、アルファ・べーテ・ガモフ著とした。今日これは「αβγの論文」として知られている。なお発表されたのは「フィジカル・レヴュー」誌の同年四月一日号であった。

冗談はさておき、この論文は彼の名前を不朽ならしめるものとなった。宇宙は大爆発のような膨張でもって始まったとする「ビッグバン」仮説を展開したからである。おそらく彼はこの考えを、はじめただ冗談として、あるいは冗談半分に、ふと口にしたのではなかろうか。

という話を知ったからです。

この話は「少年物理学――ニールス・ボーア研究所と冗談物理(三)」亀淵迪 

岩波雑誌「図書」2009年1月

に載っております。

ガモフ博士は権威ある「フィジカル・レヴュー」誌に関係のない友人を口調あわせに登場してもらい、エイプリル・フールの日の誌上でその当時誰もが考えなかったけれど、天文学者ハッブルの遠方銀河が地球より遠ざかっているという情報から、それじゃ昔は一点に集中していたものが爆発したんじゃなかろうかと冗談で、論文誌に載せたようだと言うのです。

多分なんの根拠もなく思いつきの冗談を含んだ考えであったというのです。


というのは、この話を書かれた上記亀淵先生の文に、ガモフ博士の幾多のいたずら論文が紹介されているのですから。例えば、論文に巨腹のパウリの水着姿を載せるためでっち上げ論文を書いたとか。

大変いかがわしく、愉快で、報復絶倒ですよ。

興味ある方は、図書館で上の雑誌を開いてください。


今、これらの事で私がいいたいのは、大発見も冗談から駒の場合もありで、私みたいな素人であっても、何かの役に立たないかな、と考えるのです。


自然界の不思議を集めて、それらの不思議がなくなる、体系を作り上げるのです。数学で意味の無い公理系から出来上がった体系に意味をつけるように。

私は、「フィジカル・レヴュー」誌に投稿などした事はありません。

しかし、何らかの方法で、自分が満足できる自然現象の体系を作り上げたいものです。

丁度数学の公理系のように。