12月です。

2010年も残すところわずかになりました。


翻って考えて見ますに

1世紀ほど前の

1900年は偉大な年でした


私は、特に感じているのですが1900年の年は


量子論の誕生の年で、マックス・プランクが作用量子仮説を発表した年です。作用量子仮説とは光のエネルギーが、ゼロから等間隔に規則正しく並ぶ不連続で、ある最小単位の整数倍の値しかとることが出来ないとする仮説で、古典力学の矛盾を解消したものでした。


この仮説をスタートにアインシュタインの光量子仮説、原子の内部構造を解明するボーアの量子論、ド・ブロイの物質波仮説、シュレーディンガーの波動方程式・・・の華やかな成果が生み出されてきたのです。


さらに、アインシュタインの光量子仮説は1905年に発表されたのですが、アインシュタインはこの年特殊相対論とブラウン運動論を発表しており、奇跡の年と呼ばれています。


また、ボーアとアインシュタインの論争で有名なソルベイ会議も1910年代から開催されました。このあたりから量子の解釈問題がおこり現在にまで至っているのです。


この様に20世紀は、輝かしい世紀の始まりを迎えていたのです。




一方、数学界でも1900年、エポックメーキングなことがありました。

パリで開催された国際数学者会議です。そこで我らがヒルベルトは有名な講演を行い、問題を持つことこそが、「過去を省み、まだ見ぬ未来へと思いをはせるものだから」と、数学の未来に希望を持たせ、かの有名な23の未解決問題を提示し、20世紀の数学界の扉を叩いたのです。


その講演でヒルベルトは、

「未来が隠れているベールを持ち上げて、科学の次なる進展と、未来の世紀における科学の発展の秘密とを喜んでかいま見ようとしない人がいるでしょうか」と始め

「すべての問題は解決可能だという公理は、数学の思考にのみ当てはまる特有なものなのでしょうか。それとも、精神が問いかける問題はすべて、精神によって解答されるはずだという信念は、もしかすると精神そのものに生来備わっている一般的な法則なのでしょうか」と問いかけ

「全ての数学の問題は解決が可能だという信念は、数学者にとって力強い支えとなります。私たちの心の内には、こうした呼びかけが絶えず響いています。ここに問題がある。その解を求めよ。純粋な理性によって解は必ず見出される。なぜなら、数学にはしりえないことはないからだ。」と高らかに数学、精神、理性の可能性を宣言したのです。


そして、この30年後にケーニスベルクでドイツ科学者・物理学者協会の会議が開かれ、70歳の老ヒルベルトは、歴史的な講演「自然認識と論理学」を行ないました。ここであの有名な言葉

「われわれは知らねばならない、きっと知るであろう。」

の言葉が発せられたのです。

この会議の席に、24歳のゲーデルもいたそうです。


翌年、理性の限界といわれた不完全性定理も生まれてきました。ゲーデルの不完全性定理です。この定理はヒルベルトの夢を砕いたとよく言われますが、そうではありません。


たしかに、算術の公理の無矛盾性は導かれませんでしたが、

ヒルベルトは「未来が隠れているベールをあげるのを喜んでいる」のですから、

当然の帰結である不完全性定理は喜んで迎えられたはずです。


以上のようにこれらの例から、

前世紀の雰囲気が伝わってきます。ヨーロッパ精神がかもし出す雰囲気です。

20世紀はスタート時点から波乱万丈の様相を呈していました。

2回の大戦、科学技術の発展、特別な世紀であったことに違いありません。

20世紀は偉大な世紀でありました。



一方、この21世紀はどうでしょうか。

10年たちましたが、20世紀のようなスーパーマン的な人物はまだ現われていません。

ヨーロッパからグローバルな世界に変わりました。

しかし、ヒルベルトの提唱した

「精神が問いかける問題はすべて、精神によって解答されるはずだという信念」は永遠です。今世紀もこの精神を持ち続けたいものです。

意識の解等も。



カッコ内の引用は

「ヒルベルトの挑戦」ジェレミー・グレイ 好田他訳 青土社 2003年

より取りました。