昨日は図書館へ行き

色々と本を借りてきた

結構かさばって大変。


ついでにオペラCDも借りてきた



そのうちの一冊がそれらしい意識本で、


「意識の神経哲学」 河村次郎 萌書房 2004年。


河村先生は東洋大学の非常勤講師だそうです。


意識の本で、意識に直接アタックをかけている本があまりない。ほとんどが、心とは何か、自己とは何かという心理学的アプローチの本が多く、物質である脳の働きでどうして意識・クオリアが生まれるのかの困難な問題・心身問題に対するアプローチの本が少ない。



さて、意識本で、

“痛いなどのクオリアとは何か”の答えが、

クオリアは脳のかくかくしかじかの部分の活動によって生まれますとの発生場所の説明で済ましているものが多くあります。


しかし、“クオリアとは何か”の答えは、


脳のどの部分の、

どのような活動で

何が生まれるのか


場所

発生のメカニズム

実体


の3点が欲しいものです。


現在発生場所の特定はfMRIなどの機械を使って精力的に行なわれています。

意識と脳内活動部位の対応性を調べています。

前頭葉の活動で自己意識が生まれるとか

脳幹の活動が覚醒と関係しているとかの報告があります。


発生のメカニズムに関しては

一番有名なのはペンローズ博士の

神経細胞内のマイクロチューブリン内の量子効果というものがあります。

詳しい事は知りませんが、一度勉強してみます。


そして“意識の実体”に対しては、あまり聞いたことがありません。

あるとすれば、脳内情報の意味が意識であるとの以前に引用した「モザイクボール情報世界仮説」があるくらいでしょうか。

“意識の実体”は、脳内情報の意味自身が(明るいと感じている情報が脳内にありそれが明るいクオリアになる)クオリア・意識になるのですが、実証されたわけではありません。

その他に、意識の実体の説があるかどうか、寡聞にして知りません。




そこで今日の河村先生の説。序章にあります。

明快です。他の本ならなかなか主張がどこに書かれてあるのかが分からない本が多いのですが。

さて、

意識的自我は、物質的生物システムである脳から創発する非物質的特質である。しかし非物質的だからといって、意識を脳から二元論的に実体化して分離する事は出来ない。それと同時に意識は脳の生理学的活動に還元されえない。つまり物質的脳が非物質的意識を自らの創発的性質として内包しているのである。」とあります。



ここでは意識が創発的性質で非物質的特質と述べられています。

また生理学的活動に還元されないとは、どういう事なのかよくわかりません。

たぶん物理的に説明出来ないという事でしょうけれど、でも創発は物理現象のはずです。

何か言っていることの辻褄が合っていないように思われます。


しかし先生の創発とは「もともと生物学由来の概念であり、生命が物理学と化学の規定する物質には還元できない独特の自然的本性(超自然的ではない!)をもっていること、・・・それを構成する原子や分子や細胞などの構成要素の総和としては規定できず、・・新たな性質を持つ」と説明されています。ここでは物質に還元できないとありますが、他の場所では「水はその構成要素たるHとOが単独ではもち得ない創発的特性(濡れや高誘電性)をもつ」と物理で説明されていまして、一貫性がありません。


たぶん複雑な物理システムに新機能が生まれるという事と、全く物理で説明できない新たな特性が生まれると二面からの説明可能という事でしょうか。


他の場所では「創発現象は、精神や生命の領域のみに見出されるのではなく、それらを含まない物理的事象にも見出される」とありまして、意識における創発は上記の言葉どおり生理学的活動に還元されえないと理解するのが正しいのでしょう。





さらに、クオリアに関しては「クオリアすなわち意識の現象的質がいかにして脳の情報物理的プロセスから因果的に発生するかを明示しなければならないことになる。これは難しいことである。なぜならそれは右目で理科の教科書を読みながら、左目で現代国語の教科書を読み、両者を照合しつつ一つの問題を解くようなものだからである。二元論に執着するかぎりこのジレンマは逃れられない。しかし、ある意味では答えは社会科の教科書にかいてある」として脳の社会的相互作用に解答があるとします。社会的相互作用はジンガー(ドイツ、マックスプランク研究所所長)の説だそうです。


理科は物理

現代国語はクオリア

社会は解決策であると。


脳内情報プロセスとクオリアの両方を照合し解決するのは難しくてできない。しかし社会的相互作用に糸口があると。



筆者は社会的相互作用を発展させ「クオリアの創発の起源は脳の情報システムと宇宙の情報構造の共鳴にあったのである。神経科学的研究は、この事を考慮しない限り意識と脳の関係を完全に解き明かすことが出来ないであろう。」と述べられています。


共鳴とは、「各々の脳が、自らの情報システムを他と照合し、それによってシステムの維持と浄化と向上をはかっているから」他の脳・社会・宇宙と共鳴していると主張されています。それは、他の脳と協調している事を共鳴としているのです。

具体的には

ある人の脳と他の人の脳が情報交換し社会的に相互作用するときには、二人の人それぞれの身体(それは独自の来歴を持っている)の活動や環境内の要素や社会情勢といったものが変数して関わってきて、それぞれの脳内の生理学的過程に明確な痕跡を残さないまま消え去ってしまう。この事実を無視して意識の主観的特質を脳内の生理学的活動のうちに強引に見出そうとしても無駄である。」と社会的相互作用を無視しては意識の主観的特性が得られないと主張されます。


どうでしょう。

私には、全くこれらの主張が理解できませんが。

いかにも哲学者の思弁的過ぎる話で理解できないのです。



それで意識は

どこで

どのようなメカニズムで

何なのか


その答えは

脳が

他の脳との相互作用の中で創発された

還元されない非物質的特質


となります。


この結論では、具体的イメージがわきませんが・・・・・。