今日の朝食は食パン2枚と
コーヒー
昨日苺とブルベリージャムを買ってきたからね。
昨日に引き続き、茂木博士の
「脳内現象<私>はいかに創られるか」NHKブックス
を、勉強します。
昨日は、マッハの原理の下、メタ認知モデルを使うことにより、「メタ認知的ホムンクルス」を脳内に住まわせ、クオリアを生み出したのでした。
マッハ原理の下「前クオリア」が生まれ、メタ認知で主体が生まれると言うストーリーでした。
マッハ原理とは「個物の間の関係性を重視する」方法で、その原理を流用し「クオリアを生み出すものは神経細胞の間の関係性」だとの主張です。
この生み出されたクオリアに対し、メタ認知を使い「自己の内なるものの関係性を、「外」にあるかのごとく認識するというメタ認知のプロセスを通して「ホムンクルス」を生み出す」のでした。
「小さな神の視点」です。
今日は以上を引き継ぎ、ゾンビの話になるようです。
どうしてここで博士は、唐突にゾンビを持ち出してくるのか、不思議でしたが、よく読んで始めてわかりました。
つまり、
「意識の科学の現状は、物質である脳から心が生み出される第一原理を未だ説き明かせない」段階にある事を認められているのです。
私は「マッハの原理の下生まれるクオリア」と書かれてあるので、てっきりここでクオリアが生まれているのだと勘違いしていたのです。実はそうではなかったのです。
具体的な博士の弁は
「そのようなモデルで記述されるシステムが仮にあったとして、なぜそのシステムは哲学的ゾンビでなく意識を持たなければ成らなかったのか、」
つまり哲学的ゾンビでなかったのはなぜか、という問いに答えないといけないと言われているのです。裏をかえせば、どうして実質的な意識が生まれてくるかを説明しなければならないと言っているのです。
博士は、マッハ原理だけでは意識の説明がまだまだ不十分と考えられていたようです。意識の第一が説き明かせてないのです。
それで、博士はゾンビを登場させたわけですが、博士の本心は、心身問題は未だに未解決であると言っているのでしょう。
そこで、最終的で最重要な、博士の<私>を生み出す説明は以下の通りです。
「客観的な自然法則に従って変化していくかに見える物質系に」私秘的なものを見出そうと、されます。そこに<私>を見つけようと考えているのです。
自然法則に従う物質系に主体<私>を見つけようとされているのです。
その取っ掛かりは
<私>の素(もと)が、「粒子と粒子の間の相互作用の中に見出される。」と考えます。
「なぜならば、この相互作用と言う関係性は、それぞれの粒子にとってしか意味をもたないからである。」からです。
具体的には、「水素原子内で電子が一つの陽子からなる原子核の周辺を回っている時に、電子から見て陽子からうける作用が一体どのように見えるか、」となり、電子・陽子の相互作用の中に私秘性を見出そうとされています。
「その関係の内部から見るということの中にこそ、私秘的な視点のもっとも原始的な種があるかもしれない」のです。
そして、「粒子と粒子の間の相互関係に現れる私秘性にこそ、意識のもっとも原始的な萌芽があるのかもしれない」のです。
この粒子と粒子の間の私秘性に意識の芽を見出そうとされています。
この粒子の代わりに脳内のある部分集合を置き換えてみます。
「私たち人間にとって親しみ深い意識は、マッハの原理の下である程度の複雑さをもった素子の相互関係を、同じくある程度の複雑さを持った素子の相互関係からなる主観の座(ホムンクルス)がメタ認知することで生まれてくる。」のです。
ここで主観の座が生まれてくるとの主張です。
以上が博士の心身問題に対する考え方となっています。
わかりましたでしょうか。
私は初め、ここの部分を読んだとき、確かに眼の付け所が違うなと思いました。そういう風になるのかな(ホムンクルスが出来上がるかな)とも思いました。
粒子の気持ちになって考える、など普通は思いませんでしたから。
でもよく考えると以上の説明は、説明になっていないと思います。
と言うのは“粒子と粒子の間の相互作用において、片方の粒子が他方の粒子の影響をどのように見えるか”という質問には、すでに片方の粒子に主体を設定させています。
始めから粒子に主体があるのですから、ホムンクルスは生まれてくるのではなく、はじめから与えられているのです。
またメタ認知は、生まれてきた意識に対して使える処理です。すでに生まれている意識に対して出来る処理と思います。まず意識が生まれ、それからメタ認知処理が出来ると考えますが、どうでしょうか。
そう考えると、意識を生むために使える処理ではありません。矛盾がありそうです。
何度も本文を読み直しましたが。
それとも、ここでいうメタ認知はこのようなメタ認知ではなく、神経活動がそのように出来ているという全く別のメタ認知でしょうか。
つまり、私はいま自分が意識している事を感じている、と言うようなメタ認知でなく、全く別レべルのメタ認知。
すると、このような全く別のメタ認知が脳内に存在できるかどうかの検討が必要になります。でもその様な説明は見当たりませんでした。
要するに物体である脳の活動から、異次元存在と思われる意識を生み出さなければならないのですから、物質の活動を離れた考察が必要になります。
カントも言っているように、外界の実体は認識できないのです。認識できるのは自分の意識だけなのです。すると常識的に考えて、意識世界と外界は別次元の世界であると判断すべきです。
それは別次元の意識世界が要求されていると判断すべきです。
この要求を自然現象の中に求めるのが心身問題の解決方であると思います。
例えば、以前のブログで述べたモザイクボール情報世界に飛び込むような異次元への転移です。その世界の中で逆コペルニクス的転換が必要になりますが。
脳内情報世界に意味をみつけるのです。
でも、この仮説は少し荒っぽいのです。
仮説の正当性を検証・実証できるものは何も無いのです。
そこで新しい問題、脳内情報世界に意味のある情報を創生するという問題。
情報の世界からこの物理世界をみて、情報に意味をつける問題。
この問題は、誰も解決していない問題で、
かなり刺激的なアメイジングでイクサイティングな問題です。
そして難解な問題です。
難解な問題は、量子力学の世界に沢山ありました。
でも量子力学を開いた人々はそれらを解決したのです。
思弁的な方法しか取れない私ですが、
数式を充分使いこなせない私ですが、
でもきっと解答はあると考え、この問題を追究していきます。
本書は、心身問題以外にも重要な記述があります。自由意志、感情、ミラーニューロン、意識の非局所性問題、等興味深い記述にあふれています。
読みやすく、わかり易い表現で書かれています。
推薦の図書です。