仕事の帰りに時々買い物をするので
スーパーにはいります。
最近トマトたべてないなと思い、トマトを買おうと
棚を見ると168円、それも一個の値段なんですよ。
こりゃあかんと思い、買うのやめたけど、
なんでこんなに高いんやと、あきれました。
仕方なくゴーヤを買いました。
同じような値段だけど、大きさが全然違うし、
そっちはまだ安かったから。
野菜が高いとテレビで言ってたけど
ほんまやった。
昨日、今日と、最近気が向き時間があれば集合論の勉強をしている。
仕事が忙しくなると、時間が取れないんであまり進まなくなりますが。
数学の勉強は、小説を読むようにはいかないんです。
僕の場合、気合がはいれば一日連続で続けられるけど、
今日は1時間、明日も1時間と分けて続けるのが難しい。
明日は別の何かに興味が移ってるんです。
たぶん、むらっけな性格なんだろうな、と思ってる。
しかし、モザイクボール情報世界(脳内意識情報世界)を解明するため、集合論が使えないかと勉強しているのです。
勉強をしてゲーデルの不完全性定理を理解しようと頑張っているんですから。
なんとなくゲーデルとモザイクボールが関係してるんじゃないかなと期待してるから。
そこで理学部出身の同僚と色々と議論するのですが。
そして、私がいつも聞くほうだけれど、例えば。
「自然数に無限大はあるか?」の僕の問いに彼は
ないと答えます。なぜなら自然数に1をたしても自然数だから。
無限大は数字じゃないんだと言うのです。
確かにいろいろな解説を調べると、「無限大は実数として存在しない」と書かれています。
そこまでは、僕も理解します。
しかし集合論では自然数の集合は無限集合です。
同じく解説には「無限集合というのは、元(げん)の数を自然数で表せないということです。」とあります。
元とは集合の要素で、あつまったそれぞれ1個分に相当します。
すると自然数の集合の元の数は自然数の値より1だけ大きい数になりますから、自然数ではないんですか、と私は思うんですが。
つまり元の数が自然数で表せないのに、その集合の元の一つであるどの数字も無限大ではないのです。
彼は根拠も示さず、自然数の存在個数は自然数では表せないと、涼しい顔で言います。
つまり自然数の集合は無限集合だけれど、自然数は無限大では無いのです。
1を無限に集めた集合の元はやはり1です、自然数も無限に集めても元の自然数は自然数だといいます。
「ほんまかな」と思うのは私だけではないでしょう。
なにか矛盾か私の理解不足があるようです。
例えば、自然数の無限集合の中のどの一つの数字でも取り出せば、その瞬間に有限の自然数に成ってしまうとか。無限の概念が、手に取ると有限になるとか?
また、集合論での定義が違うのかなと思ってしまいます。
もう一つ別問題、
自然数と実数の無限集合では濃度が違うんです。
この事は、少し集合論をかじった人ならすぐ理解されますよね。実数の方が1だけ濃いんですが、この証明に、ドイツのカントール先生は対角線論法を用いました。
やり方としては縦二列の対応の数表を作って背理法で矛盾を見つけるという方法で行なうんですが、ここで縦一列目に自然数すべてを、その横にそれに対応する任意の実数を置く。
カントール先生は、もし無限集合が等しいときは、1対1の対応がつき自然数も実数も数の個数が等しいと仮定します。つまり全て上手く対応が付き過不足がないと仮定します。
(詳細証明は省略)
この証明法でのポイントは「無限に並ぶ数字からなる数表の、実数側の数字の対角線上に位置する数字を別な数字に置き換え新しい無限の数字を作れるのか」という所です。この数表では新しい次数が出来るというのです。
出来るから自然数より実数の方が多いという理屈です。
(僕はこの証明法自体理解できていないのか、納得がいかないのです。無限数の1対1の対応などできるのか)
そこで僕の質問、
だったら、自然数を実数に変えても、同じことが出来るんじゃないと。
縦軸に任意の実数、横軸にそれに対応する任意の実数を置き、その後は同様の手順で処理すれば、結果は自然数の場合と同じことが言えるのではないかと質問したのです。
すると彼の反論は、
全ての実数を並べる方法がないというのです。
例えば1/3の0.33333・・・と
2/3の0.66666・・・をどこにどのように置けばいいのか、決められなというのです。
私は並べ方だけなら、どうでも決められると思ってるんですが・・・・。
実は、きっと彼もよくわかってないんだと思ってます。当然私も。
いずれにせよ、集合と論理は慣れないとすぅーと理解出来ません。公理を論理式で理解するだけでも大変でした。
こんな数学を専門にやってる先生達はえらいなと思う反面、これバッカやってないとこんなのなかなかわからんよな、というのが本音です。