上海で、プロダクションと、上海万博協会の方たちと、二胡について楽しく遅くまで交流できて、とてもよかったです。
今、中国の二胡は、中国の国と、とてもよく似ている。発展の部分で。
ハードの部分は強くなったけど、ソフトの部分がもっと研究しなきゃいけない。
中国の二胡は、60年代から90年代すこしずつ広めてきましたが、
二胡の楽器はとても表現が広く、人間の部分部分の表現ができる。
研究するほどもっと難しくなります。
という話になりました。
芸術は、国の経済、政治、環境、人の心によって、変わっていくものです。
日本は裕福な国で、なぜ中国の民族楽器二胡をこんなに受けてくれたでしょうか。
二胡の楽器は、奥が深い。
人間と似ている部分がたくさんある。
単純のものではない。
いま、中国は経済が強くなって、二胡も技術が強くなりました。
そのなかで、みんなすばらしいものを研究しましたが、
でも最後人間にとっては、「感動したもの」心の中しか残らない。
感動によって、人の行動は変わるでしょう。
ビジネスとしても何にしても。
これから中国にも、若い世代、市民文化、
日本みたいに受けてくれるように。感動が生まれるように。
二胡の魅力を感じてくれるように。
どういうふうにしたら、そうなれるでしょうか。
二胡の技術はとても難しいですが、
その上に、魅力的な表現は、さらに難しいでしょう。
それが芸術だと思いました。
これから、二胡を世界の人々に受けられるように
まず、その国の文化、心、環境、習慣、愛、時代とあわせて表現力が必要。
二胡が中国の民族楽器を超えて、世界の人々に認められるのは、
やはり「感動」と思います。
技術勉強の上で、
さらに人に受けられる表現するの力をもっと広く深く、
そして生まれたの魅力が、感動になれるように。
これから二胡振興の大事なポイントだと思います。