今日、師匠が荼毘に付されるらしい。
それは仮初めの姿であった肉体から魂が離れ、皆のことを空から見守る立場になるという事だ。
目立ちたがり屋でお節介やきな蓮村さんが、人に干渉したり説教したりできなくなるのだ。
本人的には甚だ本意ではないに違いない。
しかしそれは世の理だから諦めてもらい、どうか皆を見守ってほしい。
仮初めの姿は骨になり、最後に一番戻りたかったであろう城に一晩だけ戻るらしい。
それにより今日のJ's Barは、大いに賑わう事だろう。
しかしその時にはもうこの世には体がないし、声も聞けない。
顔も見れなければ、軽口を叩き合うこともできない。
そして、ウイスキーについて熱く語られることもなくなるのだ。
それを突きつけられるのが怖いから、そこから逃げるのは簡単だ。
しかし、しっかりと向き合わないといけないのではないだろうか。
そう考えて思い出深い酒を在庫の中から探し出し、栓を開けた。
それがこの1988のラフロイグだ。
ラフロイグといえば、歯医者を思わせる強烈なヨード香の印象がある人が多いだろうか。
しかし信じられないかもしれないが、時にトロピカルフルーツの香りと味がするのだ。
慣れるとむしろ歯医者の味は様々な要素に分解してしまうのか、感じられなくなってしまう。
ラフロイグloverはその味わいと香りを熱烈に愛する。
私もラフロイグloverを自認しているが、そのきっかけになったこのボトルもまた、J's Barで初めて飲んだ。
もしかしたら、初めて飲んだときに一番興奮したのがこのウイスキーかもしれない。
モルト侍はこのラフロイグを『灰にまみれたマンゴー』と評した。
このラフロイグは、1988年7月蒸溜の22年熟成で、カスクNo.8301の樽から49.6%で276本ボトリングされている。
デヴィッド・スタークのクリエイティブ・ウイスキー社の、5周年記念としてボトリングされた3本のうちの1本だ。
このラフロイグで南国果実を感じた私は、同じくらいの熟成年のボトラーズのシングルカスクのラフロイグを買ったり飲んだりしまくった。
しかし、当時主に流通していた1990ヴィンテージの中には、『灰にまみれたマンゴー』はいなかった。
このボトルも当時、日本の代理店はスリーリバーズだった。
そのスリーリバーズのオリジナルラベルで、同じ22年熟成の1987ヴィンテージのダンスにも、やはりそれはいなかった。
ひたすら飲みまくった結果、実はヴィンテージによって味に傾向があるのではないか?という事に気づいた。
今にして思えば、1987も1990もトロピカルが出づらいヴィンテージだ。
むしろ裏ラベルに蒸溜所のイラストが書かれた、ロイヤルワラントを賜るまでの10年ものの方がトロピカルを感じる。
つまり、80年代頭の蒸溜ということで、熟成年はそれほど重要ではないという事だ。
そして、1988の次には1993、そして1997~1999がトロピカルを感じやすいヴィンテージだろうか。
そしてこのボトルを探しまくったが、ありそうな目白田中屋も含めてどこにも売っていなかった。
そんな折、クリューガーのオークションでこのボトルを見つけ、初めて海外のオークションにチャレンジ、ボトルを落札した。
それからも見かける度に落札し、都合3本を手に入れた。
幸いなことにそれほど知られていないのか、安く手に入れることができた。
後になって有楽町キャンベルタウンロッホで聞いたが、当時飲んで買い占めたいと思うくらい話題になったらしい。
なのでたまに有楽町で飲めたが、最近は出会っていない。
手に入れた3本のうち1本は飲んだが、残り2本は手元に大事に残していた。
そのうちの1本を別れのウイスキーとして開栓、改めてテイスティングしてみた。
【テイスティング】
麦芽の甘い香り、ヨード香、灰にまみれたマンゴー、燻香のつよいハム。
アプリコットのジャム、ダークチョコレート、焼いたオーク、グレープフルーツの皮やワタ。
バニラ香、抹茶の粉、クリーミーなテクスチャー、乾いた土。
余韻には、モカ、ホワイトチョコレート、樹脂、パッションフルーツ、ハーブソルトが現れ長く長く続く。
今となっては、もっとトロピカルに特化したラフロイグを飲んできているが、やはり素晴らしくフルーティーだと感じる。
しかもフルーティーだけに寄らず、滑らかで熟成感があるが、ラフロイグの荒々しさもしっかり残っている。
古き良きラフロイグのオーラを纏い、『灰にまみれたマンゴー』という表現が的を得すぎている。
そして今思うのは、詳細は書かれていないこのラフロイグの熟成樽はなんだろう?という事だ。
アメリカンオークのホグスヘッドだと思うが、おそらくリフィルのシェリーではないか。
色も結構濃く、ゴールドではなくアンバーに近い。
モカやダークチョコレートのニュアンスもあるが、これはピートが変化したとも考えられる。
今蓮村さんとこれを飲んだら、そういう話をしたことだろう。
答えがわからないそういう話にも、手が空いてさえいればとことん付き合ってくれた。
本人もその手の話が大好物だったのだと思う。
最後は酔ってうやむやになって、また次におんなじ話をする。
愛すべきだが、人生にはなんの役にも立たない。
興味がない人にはくだらなく意味がなく見えるその時間は、かけがえのない時間だったのだと改めて思い知る。
今日師匠に報告できればと思い、このボトルを詰めたデヴィッドにこの樽はなんだったかを問い合わせてみた。
すると、こんな素晴らしい答えを返してくれた。
『それは、私が瓶詰めした何千もの樽の中で絶対的に気に入っている1 本だよ!
ホグスヘッドだったことは覚えているが、シェリーだったかどうかはわからない。
ホグスヘッドについては、いまだにわからないことがたくさんあるんだ。
楽しんでもらえれば嬉しい!』
謎多き深遠なるホグスヘッド!
樽のスペックはわからないが、デヴィッドが詰めた最高の1本をただ楽しめばいいのだ。
いかにもモルト侍が喜びそうな答えではないか。
今日はこの報告と共に師匠を送ろう。
そしてウイスキー問答の続きは、いつかあの世で付き合ってもらおう。
まだまだ思い出の酒はたくさんある。
それを飲んだらあの風景が、そして饒舌で熱を帯びたあの語り口が、思い起こされる事だろう。
そんな事を思う、偉大なる思い出深きラフロイグだ。