その蒸溜所の名前はその時はじめて聞いた。
『うまいんですか?それ?』と聞いた私に、ニヤっと笑いモルト侍はこう言った。
『数年前、モルト業界を震撼させた味わいを飲ませてあげますよ』
いつもの悪戯っ子のような目をして、師匠はグラスにウイスキーを注いだ。
ほどなく経ってそのウイスキーを買ったと伝えたら、カウンター越しの蓮村さんは『あっ!!買われた!!』と大声をあげた。
営業中なのに思いの外大きな声に驚いた私に、すぐさまこう言った。
『売ってください!譲ってください!』
目白田中屋に並んでいたその酒を、次に行った時に買おうと狙っていたのだろう。
その前にJ'sで飲んだそのウイスキーを気に入った私は、当時としては高かったそのウイスキーを買ってしまったのだ。
輸入元がスリーリバーズのそのボトル裏の値札には25,800円とある。
確か税抜き表記で、当時の消費税は8%ではなかったか。
※確認したら当時の消費税は5%だった。
まあまあ高いし、すぐには売れないとたかをくくっていたのかもしれない。
結果として師匠を出し抜いてしまったわけだが、譲るとは言わずこう声をかけた。
『開ける時は一緒に飲みましょうよ。』
実は30周年のお祝いに持っていこうと思っていた酒だった。
それがこのフェッターケアンだ。
このエピソードは私の中で強烈に記憶に残ったし、1975のフェッターケアンは銘酒として刻まれている。
しかし今見返してみると75フェッターケアンは、Whiskybaseには9本しか掲載がない。
しかもうち8本が2008、2009ボトリングに集中している。
2本がダグラスレイン、あと6本は全てドイツ系のボトラーだ。
樽は全てダグラスレインが出所と見ていいだろう。
蓮村さんがいうように、集中してリリースされたドイツ発の75フェッターケアンは、当時モルト業界を震撼させたのだろう。
私はその8本のうちの3本を買ったので、75フェッターケアン=銘酒というイメージがある。
だが、誰に聞いてもこのフェッターケアンはあまり記憶にないという。
しかし、少なくとも2回はJ's Barで開いている。
日本のファンに知られているのは、カーステン・エールリヒ名義のスコッチモルト販売のテイスターの1975だろうか。
あれもうまいが、このスコッチ・シングル・モルト・サークル(SSMC)は別格感があった。
1975年5月蒸溜、2009年1月瓶詰の33年8ヶ月熟成。
カスクNo.2313のフレッシュバーボン樽から、58.04%でボトリングされている。
Whiskybaseでのスコアも、テイスターは87.67でSSMCは90.52と結構な差がある。
といっても飲み始めたばかりの頃だし、美化されているのかもしれない。
30周年を機に開けてみたら、12年越しの答え合わせができる。
それを楽しみにしていた。
その時は何度となく師匠に聞かせた冒頭のエピソードと共に、このウイスキーを飲んで感想を言い合おう。
しかし、それは叶わなくなった。
ならば師匠に捧げる酒として、開けて飲んでみよう。
そして思い出のフェッターケアンを開け、テイスティングしてみた。
【テイスティング】
ホワイトチョコレート、黄桃のシロップ、ビタミン剤のようなフレーバー、松ヤニ。
ワックス、麦芽が変化したドライなシャルドネ、バニラクリーム、ミルクビスケット。
ほんのりトロピカルフレーバー、カルダモン様のスパイス、樹脂感、ほどよいウッディネス。
長い余韻には、ローズマリーや松葉、アプリコットジャム、ライチやマスカット、蜜蝋。
長熟の滑らかさを持ち、プルーフのパワーも兼ね備えたカスクストレングスのシングルカスク。
今の知見でこれを飲むと、ブラインドでもフェッターケアンというだろう、個性的な味わいのウイスキー。
しかしかなりフルーティーな味わいで、最近いいものが出始めた88や95はもちろん、他の75とも一線を画する。
例えていうなら、92や93のグレンドロナックがどんなによくなっても、1972とは違うのに似ている。
しかし、75のフェッターケアンはそれほど知られていないし、このボトルもWhiskybaseでのバリューは£142と出た当時のままだ。
これは好きな人が飲み、オークションなどでもそれほど出回らない酒にありがちな傾向だ。
にもかかわらずレートは90オーバーなので、知る人ぞ知る銘酒なのだ。
改めて師匠の慧眼はさすがだと思うし、これ絶対好きですよね?と言いたくなる。
12年経った今、改めて飲んでもマイ・ベスト・フェッターケアンはこれだと思う。
持っていって一緒に飲んだら、蓮村さんは何と言っていたのだろう。
お陰で75のフェッターケアンにハマった私は、蓮村さんが愛したウイスキーエージェンシー、パーフェクトドラムの1975もオークションで落札した。
確か、それは飲んだことがないと言っていたし、私もまだ開けずにとってある。
いつかそれも一緒に飲みたかったし、もしかしたらSSMCよりもうまいのかもしれない。
もし、そうだったらどれだけ興奮したことだろう。
そんな今まで当たり前のようにあった光景が、今は失われてしまった。
喪失感はもちろんあるが、『あっ!!買われた!!』を思い出すと、暖かい気持ちになるし笑みが込み上げる。
本当にいろんな話をしたが、そのほとんどがウイスキーについてだった。
今後88や95、もしくは他のヴィンテージのフェッターケアンは熟成を重ねどうなっていくのだろうか。
師匠に替わりそれを可能な限り見届け、報告しようと思う。
そんな事を思う、思い出のオールド・フェッターケアンだ。