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佐々木俊尚氏が太平洋戦争の開戦について「国民が大喜びで戦争を求めたからです」とツイートしてプチ炎上していた。「メディアと国民と、軍部の三者の共犯関係です」とも書いた。開戦は軍部の暴走で、国民は被害者と思いたい人々から批判殺到なんだろうが、それ自体も自虐史観なんだよ。

「大東亜共栄圏確立の聖業に邁進しつゝある戦況にかんがみ、本社はこの歴史ある国民運動をこの際、更に強化して『千機、二千機われらの手で』の目標を達成したい念願に燃ゆるものであります」(真珠湾攻撃の4日後に国民に愛国機献納運動への参加を呼びかける朝日新聞の記事)

「いかに敵が焦慮の新戦術(原爆投下)を実施しようとも、1億の信念の凝り固まった火の玉を消すことはできない。敵の謀略が激しければ激しいほど、その報復の大きいことを知るべきのみである。」(終戦前日の朝日新聞)終戦前日までこの調子で戦争を煽っていた。北朝鮮メディアに似てる。

「朝日新聞は、戦時中の記事、毎日より勇ましゅうて派手で威勢よかった。庶民は『みい、朝日読んでたら、気ィ大きゅうなる 』いうたもんです。『赫々の武勲、必死必中の体当り、敵大混乱』なんて書いて、庶民を嬉しがらせとった。」こんな証言もある。国民は新聞を読んで勇ましく戦争に向かったのだ。

だから、佐々木氏の「国民が大喜びで戦争を求めたからです」はやや言葉足らずかもしれないが、「メディアと国民と、軍部の三者の共犯関係です」というのが真相だと思う。戦前と戦中の朝日新聞は、戦後とは全く反対の立ち位置から戦争遂行へと国民を勇ましく煽っていたのだ。国民もそれに乗った。

戦後の占領下でGHQは、「戦争責任は軍部にある」という認識を日本国民に刷り込んだ。今の中国政府も「右傾化する日本政府が悪い、日本国民は被害者」の路線でプロパガンダしてくる。そう言えば、今の朝日新聞の論調も同じだ。先の戦争から学ぶなら、こういうメディアに騙されてはダメなのだよ。



(馬鹿な東條英機に追従したくなかった特攻隊員の声もある)

(陸軍と海軍の対立もあったし、冷静に考えて勝てる戦争ではなかった)

「昭和16年夏の敗戦(猪瀬直樹)」にその辺のいきさつが書いてあります。開戦前の夏に、各方面のエリートを集めて作られた総力戦研究所は史実としての敗戦とほぼ同じ結論を出し、東條英機にまで伝わっていました。

しかし、欧米からの要求である中国大陸からの撤退については、「日中開戦以来の十万の英霊に申し訳が立たない」との空気で、軍部と政府は開戦に突き進んでいったようです。株取引の言葉で言えば“損切りができない”状態だったと思います。

ナチスがヒトラーのリーダーシップで開戦に進んだとするならば、日本はそれとは逆に開戦へと進まされる状況から和平に舵を切るリーダーシップを取れる人物がいませんでした。それは、天皇陛下を前にして行う御前会議という意思決定システムの限界でもあります。

現代の企業、特に大企業でも、かつては屋台骨だった事業が赤字転落をし、それでも頑張り続けて倒産が見えてきてからやっと事業撤退とリストラをしたりします。米国のGE社では、白物家電は将来的に見込みがないと思った時点で撤退しています。

思い切った方向転換は、並外れたリーダーシップと権限がなければ決断できません。日本企業では、孫正義氏やユニクロの柳井氏のようなオーナー企業でなければできないことです。先の戦争も、結局は天皇陛下が決断するまで終戦になりませんでした。

(国民にも、米国の国力について情報が伝わっていなかった)

もちろん、その通りです。先に紹介した朝日新聞のように、勇ましい言葉で開戦に向けて煽り立てられたのです。本当は、開戦前に総力戦研究所で敗戦必至と判明していたにも関わらず、です。しかし、私たち国民が、軍部と新聞のせいにだけしていても進歩がありません。

おそらく、軍部にも、そしてもしかしたら国民にも武士道精神にあるように「桜のように華々しく散る」という美意識に衝き動かされたところがあったのではないでしょうか。負けそうだから撤退する、は美学として許せなかったのではないでしょうか。

戦争に負け、戦後は自虐史観に苛まされました。しかし今、誇りは取り戻されつつあります。私たちは中国や韓国のように卑屈ですか。米国を恨んでいますか。違うでしょう。あの最強国家・米帝とフルに4年間も戦い、今ではお友達です。

開戦に突き進んだことは、戦略的には失策だったでしょう。個々の戦闘では見苦しいこともあったでしょう。しかし、70年後の今、私たちはなにも失っていません。経済力もあり、先人たちの誇りすら再発見しつつあります。


真珠湾攻撃から半年後の昭和17年6月1日、松尾敬宇中佐は特殊潜航艇艇長として豪州のシドニー湾へ突入。不運に魚雷発射管が故障し、やむなく米重巡に体当たりで魚雷を爆発させようとしたが、かなわず自決。豪州海軍は、潜航艇を引き揚げ、遺体を海軍葬をもって遇した。

その海軍葬には反対も多かったが、海軍司令官ジェラード・ミュアヘッド=グールド少将は部下を諭した。「私は敵国軍人を、海軍葬の礼をもって弔うことに反対する諸君に聞きたい。勇敢な軍人に対して名誉ある儀礼をつくすことが、なぜいけないのか。勇気は一民族の私有物でもなければ伝統でもない。」

「これら日本の海軍軍人によって示された勇気は、誰も認めるべきであり、一様に讃えるべきものである。このような鉄の棺桶に乗って死地に赴くのには、相当の勇気が要る。これら勇士の犠牲的精神の千分の一でも持って祖国に捧げるオーストラリア人が、果たして何人いるであろうか」

戦後の1968年。豪州は松尾敬宇中佐の母堂まつ枝さんを招いた。まつ枝さんは亡き息子を偲びシドニー湾に日本の酒を注いだ。先日、豪州を訪問し、議会で演説した安倍総理はこの逸話を披露し、「皆さんが日本に対して差し伸べた寛容の精神と、友情に、心からなる、感謝の意を表します」と述べた。

米国にも似た逸話がある。日本海軍の巡潜・伊25から飛び立った零式小型水上偵察機が米国本土への爆撃を敢行。終戦後の1962年、爆撃を行った藤田飛曹長はオレゴン州ブルッキングス市から「歴史上唯一アメリカ本土を空襲した敵軍の英雄」として大歓迎を受け、同市の名誉市民の称号を贈られた。

米国にも豪州にも、たとえ敵であっても勇敢に戦った軍人への敬意の念がある。現在の日米・日豪関係の土台の一部にもこういった先人の勇敢な戦いへの敬意が含まれていると思う。そうでなければ重要な同盟国に選んだりはしない。戦争には負けたが、今につながっている財産も多い。と、私は思う。