「兵役を拒否した日本人-灯台社の戦時下の抵抗-」(1972年 稲垣真美著)をようやく入手し読み終えた。



下記はものみの塔協会発行の「年鑑」からの引用であるが、その記述は全て嘘である。


「残念なことに,支部の監督(明石順三)は圧力をかけられて背教しました。このグループが忠実を保てなかった原因の一つとして,彼らが一人の人間,つまり明石順三に従っていたことを挙げることができます。明石は,すでに妻がいたにもかかわらず,一夫多妻という日本の伝統的な習慣を受け入れました。」-1998年鑑


「1947年に明石順三は,ニューヨークのブルックリンにあるものみの塔協会の事務所に,自分はもはや聖書の教えに同意していないということを知らせました。」-1998年鑑


「明石は,以前から不道徳な生活を送っており,圧力を受けて真理の面で妥協し,すでに神の組織を離れていました。」-1988年鑑


「明石順三自身についてはどうでしょうか。刑務所から釈放されて2年もたたないうちに明石は,ものみの塔協会の会長に宛て一通の手紙を書きました。1947年8月25日付のその手紙の中で,明石は,1926年以降の協会の出版物の中で説明されている事がらには同意していなかった旨を述べています。1926年と言えば実際,明石が支部の監督として日本へ来る任命を受けた時よりも前です。したがって明石順三は,彼が自分の述べたところによると,20年以上にわたり偽善者を演じていたわけです。」-1978年鑑



これらは、戦時下の日本で命を懸けてエホバへの忠節を守り通した明石順三兄弟への事実に基づかない甚だ酷い中傷である。


こんな酷いことを書き面う組織に正当な怒りを禁じえない。


明石順三兄弟は真のクリスチャンの模範である。