野外奉仕に出掛けた際、集合場所で司会者に「兄弟、一件入りました?」と聞かれたことはないだろうか。

また、自宅付近の留守宅を一件訪問して、車で何十分とかかる遠くの集合場所まで出掛けたことはないだろうか。

これらはJW日本教でよく観られる奉仕の光景であるが、なぜそうするのだろうか。

それは、毎月の奉仕報告の数字を少しでも稼ぐ為の工夫である。


先日、妻が奉仕に出掛けた時も司会者に一件入ってきたかどうか聞かれたそうだ。しかし、妻はこう言った。「入ってきてないですけどいいです。時間の為に奉仕していないので」と。すると、司会者や周りの姉妹たちから「もったいない」と言われたそうだ。

私は、妻の見方こそエホバの見方でもったいないと言った仲間たちの見方こそ組織の見方であると思う。

再三申し上げているが、エホバは1時間でもより多く奉仕した方を高く評価されるのだろうか。

集合場所に着いてまだ一件入ってないあなたを見て、エホバは天から「この人はまだ奉仕を始めていない。まだ時間をカウントしてはならない」と厳しくチェックしているだろうか。

エホバをみて奉仕をしているのか、組織をみて奉仕をしているのか。ここでもまた自己吟味するのは良いことだと思う。

1時間の奉仕の取決めに参加したのであれば、よっぽど遅刻したのでない限り、1時間とカウントすれば良いのではないか。


こうしたある意味小さなことから意識改革をして、本当にエホバの名を冠する組織として相応しく成長していかなければならない。

その為に、奉仕報告を匿名制にしたらどうか。